第10回・霧立越シンポジウム 西南戦役130年
「西郷さんの歩いた脊梁山地を探る」
⑥ 4月23日 胡摩山
黒木緑ご夫妻
秋本 こちらに西南戦争で西郷さんが来たという話は残っていないでしょうか。
黒木 通ったことは通ったとですが、西郷さんの家来ですな。隠れて走るからですな。あれが通った路ですな。そこの下の谷を渡って向かいのあの道を通ったとです。そういう話しは聞いとります。昔の胡桃峠を越えてきて、この裏山に出てくると、この上の御岳三柱の神を祀ってある神社の横を通っています。
黒木夫人 神社の前を通って行くと耳の葉淵に出て七曲を上っていくと胡桃峠になるとですが、そこから来たということです。
秋本 仲塔に黒木国次郎という人の家があってそこに西郷さんが泊まったということを書いた本があるので、仲塔の黒木國次郎さんのお家を探したけれど分らんとです。それでこちらの胡摩山に来てみたところですが。
黒木夫人 國次郎さんは仲塔ではないですね。私の実家は仲塔ですが、仲塔でそういう話は聞いたことはないです。それは、ここの先の小谷の國次郎さんではないでしょうか。うちの爺さんたちの時代ですから、そこに西郷さんたちが追われてきて、家のばあちゃん達が「きつかろうから、お茶でも飲んでいきなさい」と言われたちゅう話しは聞いとったとですよ。
秋本 ほほう、この先の小谷というところに黒木國次郎さん宅があったのですか。
黒木 泊まったという話しも聞いておったのですが、そこの先の村会議員しとった良夫が「そりゃあ違う、あすこでは、茶飲んだだけで泊まっちゃおらんとじゃが」ちゅうていいおった。
黒木夫人 泊まったとでしょうかね。あすこに泊まったとか、お茶飲んで休んでそして越えたとかいう話を聞いております。爺ちゃんたちからの聞き写しで聞いとるけ、よく分らんとですよね。
そして、國次郎さんの方は偉くて、その息子は仕事する人でなかったといいます。お父さんは一生懸命働いて辛抱してああいう庄屋を造ったけど息子さんは仕事せんで遊んでばっかり。そしてあそこにはヘビが居ったとですよ。それがそこの家の宝でですよ。昔は焼畑でしょ。で畑を打って山の横道を行っておったら、蔵のどこか横で休すんどったらヘビがでてきたという話しを爺ちゃんたちがよくしていたです。白いヘビでぐるぐる巻いとったそうです。じゃから「お前は、家の蔵におって守ってくれんか」というたそうです。すると蔵に棲みついて、それからその家は繁盛して大きな庄屋になったといわれています。
秋本 その家は、今どうなっていますか。
黒木夫人 もうその家は潰れてありません。家が裕福なけ、というて遊んでばかり居たのでは家は潰れてしまいますよ。雇い人がナガモチを運び出したらシロヘビはそれについて行ったのではないかといわれています。
黒木 皆んな働いておる時、働かんでおれば家はどうかなるですわ。そういう教訓ですな。
屋敷の面積は1町歩ほどあったですが、今は私どんが使用しています。田んぼにしたのは7畝ばかりです。そこに屋敷があったとです。その下に蔵があって、今、丸い石が残っていますが、あれは正月に集落の者が集まって石を持ち上げて力比べをしとった石です。そういう行事があったとです。重たくて丸いからなかなか持たれんでしょ。
黒木夫人 そうそう、そこにはヘビがいっぱいおって私達が子供の頃行くと石垣に長々と張り付いていたり、横たわったりしていて恐かったとです。
某 シロヘビですか。
黒木夫人 アオダイショウですよ。
秋本 昔、黒木さんが子供の頃、胡摩山には何軒くらいお家があったんでしょうか。
黒木 昔は15軒あって今は12軒ですかね。
秋本 胡摩山神楽はその15軒で行われていたのですか。
黒木 昔は一軒で大概5~6人くらい居て家族が多かったでしょう。それで縁故関係で結婚して皆んな引っつり引っぱりで集まるので人間の数は多かったですね。
某 神楽はどこで舞われるのですか。
黒木 民家で舞います。稽古の時は回し講で1軒で一番づつ舞いますが、夜神楽は大きな家の4軒で毎年回しで舞うのです。下の大きな淵で雨乞いの時舞うこともありました。夏と秋の祭りには御酒上げというて米を出し合って酒を造りました。そこの上の家が引き受けて造っておりましたが今はしません。衛生的に悪いからということで止めました。私どもが若いときは、とうきび焼酎とか稗焼酎とかも隠れて作りおったですがね。
秋本 椎葉の神楽は長い唱行をすらすらすらと唱えられますが、ようあれを憶えとらすなあと感心するのですが。
黒木 はい、あれは木浦の常次郎君が上手じゃったですわ。私と同級生じゃった。あれが方が早よう死んだもんなあ。
秋本 唱行はすべて口伝ですか。
黒木 ただ口写しですな。もう書くことが皆苦手で。唱行の本がありますが見たっちゃ分らんですな。昔から皆口写しじゃからな。だから記録もしとらんのです。昔の人はみんな上手じゃったですわ。私の叔父になる黒木岩蔵という人が居らしたですが、やかましかったですが声が良かったですね。
神楽のことやら祭りのことやら書きつけた本があったとですが、人に貸したら戻ってこんで祭りもようできんようになったとですよ。祭りの時にミコウヤ造るでしょう。御幣を下げて高天原造って皆支度して神揃えするわけですよ。それで座って、読みやすい本をつくってあるからそれを読むわけです。そして皆で唱行を読みあぐるわけです。太鼓打ちながら。それから始むるとです。それが書いた本がないので祭りがでけんとです。
某 貴重な文化財は、コピーしてから貸さんと原本を貸したなら戻っちゃこんそうです。ふるさと伝承会のお偉い先生方がそういいなはりました。
秋本 なるほど、そうかも知れませですね。返ってこないとか、持ち出して分らんようになったという話しはよく聞きますね。今日は、いろいろとお話をして頂きありがとうございました。