ただいまご紹介頂きました今江でございます。昨年熊本大学を退官しましたが、大学の教養部では、環境科学という講義を担当していました。もともとは植物屋でございます。その植物もあまり人間生活に役立つものじゃない方、役に立たない植物を調べるということをしていました。調べると申しましても仕事の合間に山に入って調べるわけですから、まるで小学生が夏休みの終りの頃宿題に追われているようなことをしていました。ですから私の悪友で英語の先生から「食える植物なら俺の方が知っとるもんな」といつも馬鹿にされていました。それから育てる方になると仲間の動物の先生の方がランなんかを上手に育てる。数学の先生はサボテンを育てるのが上手。そういうことで役に立つ植物になるとみんなの方が詳しい。そこで「俺は役に立たないものを調べよう」ということで野山を歩いていた。これが私の仕事です。
そんなことをしていたので、世の中から一番離れたところにいたということになります。そのうち、自然保護問題なんかが起きてくるとそれにもまったく関らないということはできなくなってきた。特に貴重な動植物を絶滅から守らなくてはならないなんて事になってくると「あ、そうだそうだ」と思います。日本中でそういうことをわーわー言っている時にちょっと気になったのは「貴重な動植物ってなんだろうなあ」ということです。たいていは、学術的に貴重なものが貴重だといいます。ただ、よく考えてみると、学術的に貴重だということは、それを研究している人が好きだからということもある。
「いわしの頭も信心から」と言うこととどこが違うのだろうかと考えるとまた困るんです。どんなものが貴重かということで一番わかり易いのは、「誰々さんのもっている盆栽は曾爺さんの代からのもので時価何百万円するげな」というと、「あ、なるほど貴重だな」とわかります。珍しい動物は「国際法で禁止されているけれどもあれもたいへんな値段するらしい」ということになります。ゴリラが輸入された時、あれも何百万円か何千万円かするげなということになり、女はそれだけの値段がするだろうかなどと不謹慎なことをいってひんしゅくをかった者もおりましたけれど、まぁそういう風に「お金で換算することで価値がある」「希少だという生き物で価値がある」ということになります。
だけど、それも話が違います。犬を子犬の時に拾ってきてそれを家でずーっと育てて、我家の子供と一緒に育てたという雑種の犬。犬屋さんに持って行ったってお金にはならないが家族から見たら同じように大事な生き物である。それのほうが貴重な生き物ということになるかも知れない。また、毎日毎日我々は米を食って生きている。我が命の糧になっている植物の方が一番貴重な生き物ではないか。そこに理屈を言うのであれば飯は一日3回食べるが24時間息をし続けているから、息をするための酸素を出しているそこら辺の緑の植物の方が貴重なものであるということもある。
「貴重な」ということはどこに基準をおいてどこから話をするかでみんな違ったものになる。新聞などでは、貴重な動植物を守れとかいう話はよく出てくる話ですが、それは今お話した「貴重さ」とは違うわけです。なんとなく学術的なものを言っているけれど、もうひとつは数が少ないものが大事なんだなということです。どんなになんだかんだいってもそこらじゅうにたくさんあるものは貴重だとはいわないで数が少ないものが貴重だということになる。それでは数が少ないものはなぜ貴重なのか。数が少ない。珍しいということはそれだけで貴重だということになるのか。そのへんを考えだすとだんだんめんどうくさくなります。めんどうくさいけれども少し考えておかなければならないことだということになります。
自然保護を言い出した時に、世の中に相当数の人は「貴重な植物を大切にせよ。動物を守れ」と叩かれる人がたくさんいました。叩かれずにいても悩んだ人が随分いました。そんな中に、あるところでは「植物や動物がたった一種類いなくなったからといって、損得もないのに何でそんなにさわがなければいけないのか」というようなセリフにもぶつかることがある。「あんな鳥がいなくなったって別に俺は何も困らんよ」「少ししかいないのであればたいして影響もないんではないか」などと言う人もでてくる。あんまりそんなことを考えてもめんどうなんです。だからちょっと改まった言い方をしてみれば、「地球の上にわれわれが生きている」と考える時に「我々人間だけで生きているのではなくて他のものと一緒の社会を作って生きているんだ」と思うことです。しかも「地球が誕生した時から一緒に進化してきた生き物だった」ということです。
ご先祖様をずーっと辿っていけば同じになる。人間の系図よりずっと長い、30億年もある長い系図ですけれども、それを辿っていけばもとはひとつになってしまうかも知れない。そういう長い親類関係の中でそれでお互いにずーっと関りあいながら生きてきたということ。そういう地球家族というか地球社会というか生き物社会の中で一緒に生きてきた仲間たちの問題として考えてみたいと思うわけです。人間の社会だけ考えてみたって、我々はちゃんと独立して生きているように見えながら本当はすごく大勢の人の世話になって生きているんです。
朝のご飯を食べるとき、そのご飯は自分が栽培して作ったものではない。他で作ってもらったものです。その米を作るためにはたんぼを耕す機械がいる。その機械を動かすには石油がいるということのつながりまで考えていくと、ひとつのものができるまでにどれだけの人間が支えてきたか。それが食べられるようになるためにはそれを炊いてくれたおふくろさんが、女房が、そうして炊いてくれただけではない、もっとひろがりがたくさんある。そういうことで生き物社会の認識をだんだん深める。そういう中で、どれかが欠けそうになると何かが絶滅するかもしれないということになると、ちょっと大げさな言い方ですけれど日本人だけ考えたって一億人いる。そこで誰かが死んだからと言って大したことではないだろうといえるか。特に、身内の人間がどうっていう時には決して言えないセリフです。
それと同じような目を少し大げさですけれども他のいきものたちと一緒に考えるようなことが必要じゃないか。そんなようなことが貴重な動植物うんぬんの時に一番考えたことのひとつです。それから、たくさんの生き物がいる中に我々は他の生きもののお世話にいっぱいなって生きているんです。そのお世話になっている時に、それを人間がわりと都合のいいとこだけとりたてて人間だけが一人じめすることもあるんですね。人間の生き方の中に。ただ、その人間のためにという狭い意味で考えたっていろんな生き物を食べ物にしたり薬にしたりというようなこともしている。
そのようなことを考えると、例えばペニシリンなんていう化膿止めにものすごく役立った抗生物質ですが、ペニシリンは青カビからつくられたものです。青カビは正月の餅に生える役にたたない、およそマイナスしかなかったようなそんな生き物から薬がとれたりということがある。土壌菌の中からいろんな薬が取れたりすることがたくさんでてきています。このごろバイオ技術で生きもののそういう能力を引き出したりして人間のためにいろんなことに使うということをいろいろしています。そういうものの力みたいなものは全部の生き物が分けてあっちこっちにもっているものです。そういうものをやたらと無くさないようにする。損得勘定から考えてもそこがひとつ大切なことです。
植物の分布は過去の歴史を背負って生きている
もう一つ、全然別のことから言って、ある種の動植物が大事だという時に、その植物がなぜそこに生えているのか、その動物が何故そこに住んでいるのかという問題があるんです。その生き物の分布の問題です。ある木がここに生えている。何故生えているか。そこに種が落ちたから生えている。ではなぜそこに種が落ちたか。なぜ種がそこに飛んできたか。種を実らせる親があった。なぜそこに親があったか。それは種が落ちたから。ずーっと親までつながっていくからそこに一本の木が生えておれるわけです。偶然生えているようでも命は全部つながった歴史があった結果そこに木が生えている。
あるところに植物が生えているということを考えてみると、これは環境条件によるもので、どういう土で、日当たりがどうで、温度がどうでと、そういう条件だけで生えていると考えがちですが、そうであれば同じ温度の同じところであったら同じ植物が生えていていいはずです。ところが植物はあるところにはあってもその先の方に行くと、温度も降水量もそう違わなくたってあんまり無いという分布のムラがたくさんあります。片寄りがあります。
例えば、阿蘇に行くといろいろ特殊な植物があります。黄色のスミレがたくさん咲いています。スミレの花はすみれ色と思っている人はびっくりしますけれど、阿蘇では当り前にあるスミレです。ヒゴタイなんていうと、瑠璃色の球のような花がさく。まるで肥後の国のシンボルみたいにヒゴタイなんて名前がついている。ハナシノブなんていうのもきれいな花があって、その花のために毎年音楽会をやろうなんていうことがもう15年も続いている。そういう花もあります。これは阿蘇だけにしかない。このへんにはありません。黄スミレとかヒゴタイは久住のほうに行ってもちょっとはある。もうちょっと離れたところにも稀にあるところはありますけれども限られたところにしかない。五ヶ瀬は森で、阿蘇は草原だからある。少しはあるけれども、それならこのへんに草原があったならこれがあったかというとそれはないわけです。やっぱりそこに種が落ちてずーっと生きつづけているというチャンスが、歴史が、あったかどうかということです。植物や動物がそこに生えている住んでいるということなんです。
これは人間でもそうですね。先祖代々そこに住んでいるということは、そこに住んでいるからその村がなりたっている。ずーっと長い歴史の結果がそこにあるわけです。私が小学生の夏休みの宿題のように押し葉をつくってうんぬんという仕事をしていたのは、そんなことを考えていたのが基本です。なぜここにこんな植物があるのか。あっちにはないのか。そうすると阿蘇の草原に他所にみられない植物が何百とあります。そういうものは日本の中ではあんまり無くって朝鮮半島から中国の東北部、いわゆる満州、朝鮮、満州という地域に割りとたくさんある。ものによってはそれから蒙古の草原の方にまでずーっと広がって分布をしている。それではなぜ阿蘇にそういうものがあるのかというと、これは九州が今は島ですけど昔は朝鮮半島とつながっていた時代があったということです。
その時代は今よりも寒かった。そうすると向こうの北の方の植物がずーっと南にまでおりてくる。ですからこのへんまでも涼しくってそういう植物が北の方から攻め寄せてきた時代があったはずです。その後九州は切れて離れてしまう、暖かくなる。というふうになると今度は南からの植物の方がずーっと勢力が強くなる。そしてずーっと木が茂ったりすると、そういう草原にある植物は生きていけませんから光を奪われて絶滅してしまう。そんなローラー作戦みたいな歴史をずーっとしてくるときに阿蘇のまわりだけはボコンボコンと噴火がつづいて林ができようとしても壊されてしまう。そういうような環境がうまい具合に続いていたということで、そういう特殊な植物がいっぱい生えているという特殊な場所になっている。
それぞれの場所がみんなそういう特徴があります。その意味では生物というのはれきしてき存在、歴史を背負った存在であり、そういう歴史を背負った形がそういう生き方で繁栄しているわけです。
霧立山地の植物とソハヤキ要素
そうするとこの霧立山地の植物はどういう特徴があるのかというと、ここの植物は「ソハヤキ要素」という名前で呼ばれる植物がたくさんあるんです。「ソハヤキ」とは変な感じですけれども、日本語なんです。「ソ」というのは熊襲の「襲」なんです。それから「ハヤ」というのは速度の速です。それから「キ」というのは紀伊半島の紀です。おわかりのように襲というのは九州です。熊襲の国である九州と、速水の瀬戸という非常に速い潮流の瀬戸で囲まれた島、四国と、それから紀の国の紀伊半島と、この3つをつないでこれを「襲速紀」ということばにしたものです。この「ソハヤキ」というのは、この3つの範囲にきちっと収まるように、またここから少しはみだしたように分布している植物が沢山あるということです。そういう植物のことを「ソハヤキ要素」という名前で呼んでいるわけです。
これは日本の中でも、わりと古い時代からひとかたまりになり一緒になっていた島なんです。もちろん後から切れて今では離れていますけれども、ここの上で進化してきた日本の特徴的な植物がこの分布の中にたくさん入っています。それは「貴重な」というのをこの地域で考えたら、たいして貴重でもない植物がいっぱいあります。たとえばこのへんの山を登って行くとヒメシャラがあります。赤いハダのいかにもきれいに見えるヒメシャラ、これが「ソハヤキ要素」です。これは少し中部地方にも分布していますが「ソハヤキ要素」です。このへんでは山へ登って行ってあの赤いハダのつるつるの木を見ても誰も不思議とは思わない。当り前だと思っているけど、日本全国の他のところと比べた時に、こういう林の中にああいう赤く光るような木の生えた景色というのは他では見られない貴重な植物ということになります。このへんで見ると何処に行ってもあるから誰もそういう大事さは思わない。そういうことです。
それから、ヤハズアジサイという植物がある。これはヒメシャラよりずっと範囲が狭いのですがアジサイの仲間で、葉っぱを取って揉むときゅうりの匂いがする。だけど何も役に立たない植物です。薪にしてもあまりよく燃えない。ただ少し木質が堅いからナタの柄ぐらいにはなるかも知れない。そんな木で、これもたいしたことはない。このへんでは雑木です。これはこちらの狭い範囲しかありません。阿蘇の南外輪山までしか無く、外輪山の向こうまでは広がって行けなかった植物です。そういう意味でこのソハヤキの植物が阿蘇の方と比べてどこまで阿蘇の方へ広がって行ったか。足の速いのと遅いのがあるということを見ることができます。
霧立山地植物調査の歴史
シコクスミレという白い花のスミレがこのへんの森の中にいっぱいあります。だけど他所から見たときには非常に珍しい花です。そういうようなものがあるから昔からここは相当注目されていたところです。ただ、この地域の植物を調べるようになったのは相当遅く、昭和28年だったかに飫肥の服部植物研究所が中心になってこの地域の植物調査を計画したのです。そして宮崎大学の平田正一先生が木や草や羊歯などの高等植物を調査されて500〜600種を記録され、その中で百数十種が宮崎県では今まで未登録であったというものを記録しておられる。それまで宮崎県ではもっと南の暖かい地域に目を向けていたわけで、この山奥まではちょっと手が付けにくかった。実際その時の記録を見てみますと、その調査は何日も泊り込んで資材の運搬やテントを張るために苦労したという記録が残っています。
もっと古い記録もあります。皆さんのお手元にお配りしてある資料の中に入っているようですが、「BOTANY」というプリント、NO43と書いてありますが、この記録に載っているのが面白い。これは大正4年8月の記録です。大正4年と申しますと1915年ですから今から81年前で、その頃の踏査記録です。これは徳永眞次という当時熊本の済々黌という中学校の先生をしておられた方が書いておいた日記が、熊本県の図書館の資料になっているのを掘出して収録したものです。この踏査をしたメンバーは牧野富太郎先生を東京から呼んで先生の指導のもとに五家荘から洞ケ嶽まで行っています。この範囲全体を本格的な調査をしようということで計画されたものです。ただ、牧野先生は都合がつかなくなって来られませんでした。牧野富太郎先生の九州支店長みたいな形で九州を管轄しておられた田代善太郎という、後に京都大学の先生になられました先生を中心にして、九州の植物研究のトップクラスの先生たちが全部揃った形で調査をしたものです。これは画期的な調査です。調査は、熊本に集りまして五家荘から入り、那須越を通って尾手尾から尾前に出て更に霧立越を通って鞍岡に下りています。そのところを少し読んでみます。
「8月19日、晴。白岩山の険路。尾前を立って鞍岡に向かう。田代氏が先登になったが、山道に入って大いに迷った。尾前から、道は白岩山の方向に上がっている。日が照りつけて非常に暑苦しい。行けども行けども上り坂で、いつ頂上につくのか分からぬ。東西の両面がようやく開けてきて諸山の姿が見えた頃には山の九合目ほどのところに来ていた。やや木陰になった道。両側に踞して中食となす。虹が襲来するので長く居ることができぬ。しかし、市房山を初め西方肥方の連山を望んだ時は、元気とみに回復して爽快を覚えると共に、今まで平凡であった分布状態もようやく興味が加わってきた。広い原野を越えると道はほとんど平坦で更に森林の中をうねっている。」
「広い野原を越えると」でちょっとびっくりします。今はこういうのはないはずです。昔の生活では茅場をつくっておかないと炭俵もできませんし、屋根ふきもできませんから山のあちこちに茅場があったはずです。ですからその途中に茅場があったんだと思います。
「ソバナの花が今を盛りと咲いている。見る人も少なきこの高山の頂にやさしく笑む姿の愛らしさ。フウリンウメモドキ、トウヒレン、マンサク、ミヤマザクラ、レイジンソウ、フクオウソウ、ヤマホトトギス、コミネカエデなどがある。クサボタンの花も見えた。胴乱を置いて採集をはじめた。」「ここは白岩山の絶頂である。左方石灰岩質の山へ上がるにしたがって、非常に植物の分布が異なってきた。ツクバネソウ、ホタルサイコ、シモツケソウ、イブキビャクシン、ヘビノボラズ、イワギク、ホツツジ、ナツグミ、マルバノイチヤクソウ、ナナカマド、ヒメコマツ、ルイヨウショウマ、シロバナエンレイソウ、コバノクロウメモドキ、オニシバリなどの植物が一面に生えている。原田君等は、もう早く下ってしまって、如何に呼んでも答がせぬ。高柳、楢木野両君らが下ってしばらくして、田代氏の採集物と一纏めになし、二人分担って山を下り始めた。もう夕方である。田代氏と外に福田、前原両君が後から続いた。」
前原という人は人吉の女学校の先生で「南肥植物史」という球磨郡を中心にした植物の記録をつくられた方です。さっき出てきました「ソハヤキ要素」という言葉はこの前原先生の標本を基にして京都大学の先生がつくられたひとつの名前です。
「谷間より迸り出る清水を掬して、しばし立ち止まったとき、田代氏は流れ行く谷間を眺めしきりに拍手して興がっている。見渡せばキレンゲショウマが一面に花をつけて咲いている。」
多分これはカラ谷のことではないかと思います。今は伐採してだめになっておりますが、元は一面にキレンゲショウマがありました。
「これは、分布上もっとも珍種であって、牧野氏はこれが産地を発表しないと云う。」
この時代は盗掘なんていうのはあんまりないわけですが、それでも牧野先生がこれは珍しいから人に教えないというほど大事にされたわけです。それがもう谷いっぱいにあったというのですね。
「この山にして、これほどたくさんあろうとは夢にも思わなかったと田代氏は語る。このあたりは一面に群生して、きれいな黄色の花をつけている。麓の波帰に来た時は、もう暮れていた。道を尋ねて下ること半里、本屋敷というところについて茶店に休憩した。空腹で空腹で耐られないほどであったが、有り合わせの菓子と夕食を喫したので、ようやく我が体のようになった。鞍岡まで1里半ほどもあると云う。4人疲れし足を引きずりながら広い往還を北に向かって進んで行く。空には月が照っている。いつの間にか眠気を催し、道側の材木によりかかって4人とも夢を辿っていた。ふと目を覚ませば誰か呼ぶ者がある。暗がりに透かしてよく見れば、田口君が帰りの遅いのを気遣って迎えに来たのであった。これから鞍岡まで約10町(約1km)。宿に着いたときは10時頃であった。」
この中にちょっと感動的なようすが見えるように、これはもう日本の中でも非常に特異な植物のまさに宝庫であるという感激がでています。
希少植物との付き合い方
こうした植物の話をする時にひとつの話し方は、「ここにはこういう植物があります。これはどういう風に大切なものであります」という話の仕方。もっと親切に言えば、全部その絵を見せて「この絵がこういう植物です」という話がひとつの話し方かも知れません。ただ、それはさっき言った分布上非常に特異な非常にめずらしいという意味で貴重なという植物です。そういうことを大勢の人に知らせることが大切かどうかということです。ですから、植物をたくさん調べられてたくさんのものを知っているなかで、これが珍しいということの重みが分った時にその人には嫌でも自分でみつけるものだというようなものです。珍しいもの、貴重なものというものは必ずしも奇麗なものであるということとはイコールではないわけです。ですからいまから霧立山地を大勢の人に親しんでもらいたいという時に、こういう珍しい植物がありますというのは一番先に覚えるセリフですけれども、そうやることで失われてしまった例はたくさんあります。
一番ばかばかしい前例は自然保護が言われ出してすぐの時、確か中部地方だったと思います。林道工事があってずーっと上がって行って林道が行き当たったところにカタクリの大群落があった。それを見付けた人が新聞社にあわてて飛んで行って「こういう大事なところを林道が通るなんてけしからん」と言いました。新聞社もそうだそうだといって、パッと写真を出して林道の行き止りにカタクリの大群落があって大切にせにゃいかんといって報道した。そうしたら一週間もたたないうちに問題は解決したそうです。カタクリは一本も無くなってしまっていた。林道の終点だから林道をどんどん上がっていくと誰でもそこへ到着します。世の中には、貴重な大事なものがあるという時に我々が考えることと全く違った発想をする連中が山ほどいる。貴重だからというとそれなら銭になると考える。珍しいというから、人が持たないから俺が持っておこうというような人がすごくいるわけです。
熊本県の五木村のある谷に福寿草がいっぱいある。福寿草はいい花です。名前もいいですね。雪が融けるころに咲く。これもかっこいいですね。そういうところに林道が入っていって上がっていく。それは我々も少しぼんやりしていたんです。早く気が付けばいいのに、林道が谷の方へ行ってぶつかる手前の工事の時に気がついた。そして、もう断固として林道工事を阻止せにゃいかんという人もいるわけです。でも断固としてと言ったってここまで来ちゃったものを、これまでずーっと補助金もらって工事してきたものを、担当者はどうするのか。だから我々はここはできるだけ被害を小さくしよう。それから原状はきちっと調査して記録して残そうということにしました。そういうようなことで決着した。そのかわり、その次の谷にもういっぺん林道が入る時には、これはもっと先になりますからできるだけ引っ込めて影響がでないようにできないか。それから途中のところも計画路線のままでいって問題がないか調べようということで、ずーっと山を歩きました。
その時思いました。前にこの脊梁の山を歩きました時に悪友たちと言ったことがある「やっぱり人の道は踏み外したらいかん」と。人の道ってのは歩いていて楽だけれども、人の道を踏み外して獣道を行ったらそれは歩きにくいわけです。「人の道を踏み外したらいかん」と。この間の林道工事は獣道も踏み外したわけです。機械道に合わせたわけです。測量線の通りに削って行くわけですからもうこれは歩かれたものではありません。崖でもなんでもまっすぐいくわけです。だけれどまあそのひっかかるところを全部確かめて、多少損害のあるところもあるけれども替わりがあるからとして、どうしてもだめならやむをえないとした。この路線でいくということにした。歩き回って何日もかかって調査しました。
ただその時に、そうやって部分的に対処するだらしないやり方はいかんと言っていた人たちが新聞社に行ってわーわー騒ぎました。新聞社はだいたいそういう時に乗るのが好きなんです。載ったわけです。それでみんなわーっと見にいきました。その次の年からはバスが来ました。車が何十台と来てパンクするわけです。しょうがないから役場と駐在さんと村のボランティアたちが出て交通整理をします。そして、福寿草を踏み付けるものですから中に入らないように注意します。採りはしませんといいますが採る人もいるんです。たまたま聞いた人が採らなかったらそう言うし、言うた人が採らないという保証もないわけです。写真を撮ってもその時踏付けるとだめになります。
そこで役場は随分長い距離の道の両側にロープを張りました。ロープを張って写真もロープの手前から撮ってくださいということをいいます。駐在さんがあきらかに駐在さんとわかる格好をしていて「ロープをこえて入ってはいけません。ロープの中に入って撮らないでくれ」というのに無視する人がたくさんいる。数からいったらまともではない人間の方が少ない。まともな人の方が多いというけれど、そういう風に踏み荒らしてしまう。それにしてもバスで来るとはいったいどういうことかと、地元の高校の先生が聞いて回ったら福岡のスポーツ用品店が募集するんだそうです。福寿草の花を見に行こうというキャッチフレーズでですね。初めて行く人だと山歩きの道具だけで十万円くらい買ってくださるんだそうです。まぁ、がっかりしました。
こうした時、この問題におとなしく対応したグループと過激な行動に出たグループがありました。「林道は作ってもいいけどできるだけ壊さないで」と、おとなくし行動した人達の方がむしろ後から人が増えたのも心配になって見に行くし、役場とも話し合って対応を検討する。反面、さわいだ人たちはその時さわいだだけで後は見にも来てくれない。そういう形が今も続いています。役場はそんなにたくさんくるようになると登山口にトイレをつくらなければならないのではないでしょうかと心配して相談に見えられる。それだけ人が来ればやはり作らなければならないでしょうね。
このような現象を新聞社ではこういう書き方をします。「球磨郡の五木村には近年3月になると福寿草目当ての登山客でいっぱいになる。そしてそこの村にある温泉センターは開花シーズンの土曜日曜には普段の2倍から5倍になるなどの福寿草効果がでてくる。反面、登山客増による盗掘や踏み潰しなどによる新たな問題にも直面している。」両方書いてあります。けれどもこれは増えた方が主です。大勢来て踏み付けられて困っているが「主」ではないのです。やっぱり行き場所がない。「今月、3月10日は、マイクロバス9台、乗用車120台、約500人」と書いてある。そしてそういう人たちは「福寿草はすばらしい自然の財産だ。是非写真を撮りたいと思って仲間と一緒に来た」と言っている。現地で保護を呼びかけている人の話を書いてあって「花が咲いていないものは目につきにくいから花に見とれて花のついていない福寿草を踏み付けている人もいる」なんて書いてある。それから盗掘の監視もしているが、「小さい花だけにリュックに入れてしまえばわからずモラルを信じるしかない」などの話が書いてあります。これもばかな話です。
「モラルを信じるしかない」というふうに話すか、それとも「今度ひっ捕まえたら晒し者にしようと、市中引き回しの上獄門に処すというくらいの気分で俺は見張っている」と言ったっていいわけです。どっちにしたって両方のセリフは言うことができます。ブンヤはどっちかをとるべきです。「小さいもんだから採ってリュックのポケットに入れちゃったらもうもう見つけようがないよ。もう良心に頼るしかないよ」なんていったら、これはもう「小さいもんだから採って入れりゃわかりませんよ」って言っているようなものです。これは3月のことだから、だいぶさぼってもう2ヶ月以上たっていますが、そのうちに厳重抗議に行こうかと思っています。編集局長に厳重抗議を申し込むつもりでいます。
ある意味では新聞は非常にいい格好をしている。こういう薄っぺらな報道で、本当は大事で残さなければならないようなものをどんどんなくしてしまうことに加担しているという例はあちこちにたくさんあります。ですから、ここの山の霧立越の植物をどう使うか。先ず一番に地元の方たちが植物をできるだけ区別できるようになる。これが一つ重要なことです。そして、来た人に応じて──応じてというのは本当は難しいのです。ようするに相手の顔を見てというのは、人相が悪ければ教えず、人相がよければ教えるという誤解されるようなことにつながるのだけれど。──本当に大事にする人とそうでない人とを見わけることが必要になります。ところがこうやって広げていっちゃうとだめなんです。
熊本県でもうひとつ、内大臣というところに福寿草がいっぱいあるところがある。ある猟師さんが見付けて、これを保存したい。どうしたらいいかって相談されるから、僕の知り合いの山男が「黙っておきなさい」と言った。4、5年間そのやりとりをしたそうです。そしてとうとう信用しなくなったそうです。そこで他の人に相談して、今年は新聞やテレビを連れて写しに行きました。自分ひとりだけが知っているとみんなにいばりたいような気持ちと、それから自分ひとりだけ知っているとそれが悪いことのように自分を責める、ある種の良心的な感覚があるんだと思います。それが典型的に出たのが阿蘇でした。
阿蘇の波野村というところにスズランの自生地があります。そこで熊本県は自然環境保全地域に指定をして村と一緒に保存をしています。これは今でも残っています。それをした時に回りを柵で囲って人が入らないようにした。それで指定後まわりがどうなっているか僕は仲間と一緒に見にいきました。行って見て、あ、こんな風になっていればいいなあと思いながら歩きました。
柵から手が届くところにもスズランがあるなあと思いながら柵の周りを回っていたら、その辺の畑で作業していた近所のおばさんがいたわけです。そして私がこうして見ていたら「もしもし」と声を掛けてくれました。「なんですか」と私が言ったならば、「今、役場の人が向こうに行ったから今の内に取りなさいよ」。(笑い)いや、笑っちゃいけないのですよ。これは親切心なんですよ。というのは、自然の中のものですよ。役場のものでもなんでもないんですね。みんな誰でも平等に扱っていい自然のものなのに、役場がこうやってケチをして、入ったらいかんという。それよりもやさしい心で来ている人たちがいるから、その人たちがそばに行って見たり撮ったりするのはいいじゃないかみたいな心が素直な気持ちの中にある。そして我々が一生懸命見ているから多分欲しいんだろうなみたいな気持ちが起こる。そこでちょうど役場の人が向こうの角を曲がって行ったから、「今の内、今の内!」とぱっと親切に教えてくれる。私は、はっと思いました。
霧立越で保存しようとしている時、そこのところの誠意が荷物として残ると思うんです。だから、たとえ知っていても言わないでおかなければならないことがある。白岩山にだけしかないと言ってもいいようなものもあるのです。それはこれですよとあんまり言わない。珍しいものですよと写真の中には入れたっていいですよ。だけれども、それはどこにあるということや、ここだけですよということはあんまり言わない方がいい。その姿を写真で見るというところで、それで押さえていただければなあと思います。
当り前と思われている中に魅力はある
そんなことをすると魅力がないのじゃないかとお考えになるが、そうじゃないと思うんです。例えば、ここに変な本を持って来ました。山と関係ない本です。「たんぼ」という本です。どなたかご覧になられた方はいますか。だいぶ評判になった本です。後からみなさん見てください。これは、イギリス人が撮った日本の田圃の写真集です。出版はNTT出版で電話屋さんが出版しているんです。日本に来て日本中の田圃を見て、田圃の景色にびっくりしたんです。それは、日本の田圃はヨーロッパの畑から見ると手の入れ方がずっと違います。ずっと丹念に作物を作るわけです。そういう田圃が日本のあちこちにあったわけです。これを今無神経にみんな圃場整備をして短冊形に変えちゃいました。この写真集を見てみると「あーこういう田圃がある。こういう柵田の美しさがあった」と見ていてはっとさせられます。これは、むしろ日本人ではなくてイギリス人だからそれが見えた。日本人の方が当り前だと思って見る。
だから、この霧立山地のすばらしいものは、当り前だと思うそのものの中から見つけていただきたいと思うんです。名前をいちいち挙げてするのをさぼってというよりもむしろそれを大勢の方で見つけて頂く。ここに住んでおられる方達は住んでいる方達なりの目で。他所から来られる方は来られたなりのそこでの感動みたいなものを、良かったなあと思われるものを。それは、ここの霧立山地がそう痛まないでよいものかも知れません。それだったなら少しくらいそこに入りこんでもいいかも知れません。
前のシンポジウムの記録を読んだら「霧立越の草花に名前がついているともっと楽しくなるだろう」というご意見が出たのを書いてありましたけれども、僕はしないほうがいいだろうと思う。名前札を立てたところから無くなります。名札を立てたところは取って行ってくださいと読む人があるからです。そしたらブナの木に札を付けましょう。ヒメシャラの木に札を付けましょう。それは、持っていく人はいません。
ツクシヤブウツギみたいな花があります。これは切られたって切られたってまた枝が伸びてくる。これは咲いた時には白い花で咲き終りには赤く色が変ります。ふた色咲いたのではなくて時間経過で色が変わるから咲き分けたようになるのですよなんてことを書いてデュフにする。また、そういうものを印刷物にする。そうすればパチンと枝をもがれてもまたピュと生えます。
ヤマブキはこれは面白いことに石灰岩の地層に群生して生えます。ヤマブキがあるところには石灰岩があるだろうと岩を見るとだいたい当たります。これは調べていただくとよろしいです。100%当たるか、90%当たるか少し違いがあるかもしれませんが。五家荘ではもう100%といっていいくらい石灰岩のあるなしで変わります。変なところにあるなあと思って聞くとそれは植えたんだといわれたりしますが。そういうことで話題を拾っていく。
山の生活の知恵を見直す
それから、山の生活の中で自然との関係をこれまで知っていたことの知恵をもういっぺん見直すと、びっくりするような楽しさがいっぱいあります。椎葉の方がいらっしゃると恨まれるかもしれませんが、椎葉の悪口をひとつ言います。椎葉の鶴富屋敷のところに資料館があります。何年か前に知り合いの先生たちを案内してあの資料館に入りました。いろんな民具がありました。その中に、木おろしの道具というのがありました。どうやって使うどんな道具かおわかりの方は黙っていてください。他の方はどういう道具なのかを考えてください。
竹の竿の上の方に引っ掛けかぎの格好で木のマタがつけてあります。竿は物干竿くらいの長さの竹の竿です。これに「木おろしの道具」と書いてあります。使い方ご存じの方は何人居ますか。説明しないでも二人居られますね。これはどんな風に使うどんな道具なのか。どうせ説明してくれるのだからと考えないっていうのはよくないですよ。これは木を引きづりおろす時に使う道具。引きづりおろすんなら金属のマタの方がずっとよく落ちるんではないか。金のノコを付けて切り落としたほうがいいんじゃないかと考えますが、実はそうじゃないのです。
コバ作をする時、焼き畑をするのに上に木が茂っていると日が当りませんから上の木の枝をみんなおろします。この枝を降ろすのが木おろしです。大きな木があると根元からこれを倒すと大変だから、木の上の方の枝を全部落とし丸坊主にすると下は焼き畑ができます。木にとっては迷惑ですけれど。そういう作業をする時に、木に登って枝を落とした後でその木から降りて、もういっぺん隣の木によじ登のは大変です。だからこれを持って木に登り、そして枝を全部切り落とした後、最後に向こうの木を見計らってこの竿を隣の木の枝にひっ掛けてびゅーんと飛び移るのです。下に降りないので登り下りが節約できるのです。これは五家荘にもありまして図を書いて説明しているのです。椎葉でも同じ筈です。そういう説明をすると、こういうカギがついているのをへーと思って見るのです。なるほどなあと思うし、作業が目に浮かんでくるし、その絵があればなおおもしろいと思います。だけど椎葉の資料館ではただ木おろしの道具と書いてあるだけです。これではみんなスーッと見ていくだけで、おもしろかるべきものもおもしろくならないわけです。
もうひとつ、その資料館には大きなノコがあります。説明には製材用のノコくらいにしか書いてないわけです。だけどよく考えてみてください。今では製鉄所ができて、機械で自動的にピーッと延ばして鉄板をつくります。そうした鉄板に歯をピッピッピッと刻めばこんなノコギリだって簡単にできあがるわけです。ところが昔は刃物も全部鉄の塊から叩き出してつくった。日本刀を作る時、鉄を叩き出しながら作るのはみんな知っていますけれども、あれだけのノコをつくるにはこれだけの鉄板が平に、曲がらずに延びなかったらノコはできないのです。曲がっているノコで挽いたら板にならない。
だからあの大ノコを作るには、鍛冶屋さんはたいした道具も持たずに、きれいな面にきっちり仕上げなければ真っ直ぐに板が挽けるノコができないのです。あのノコが大きいのは、真っ直ぐに切るためにわざわざ大きくしてあるのです。それでなければ真っ平にする価値がないわけです。今になればそういうノコが錆ています。錆ているけれどもこのノコには莫大な技術がこめられているのです。莫大な価値のある民具であるということをキッチリ書いてあった時にはじめて人々は「あらー、すごいものだ」とそれを感じるのです。そのためには毎日見なれているものを「当たり前だ」ではなくって見なおすことだと思います。
焼き畑農法の知恵
先ほど焼き畑のことを言いましたが、焼き畑という農業は今、アマゾンやあちこちで焼き畑をやって地球環境が壊されているという話をしますから、焼き畑っていうのは荒っぽい農業だと大勢の人が錯覚をしています。本来の焼き畑農業は自然にやさしい農業なんです。平地の稲作のような農業の方がよっぽど収奪的で自然にやさしくない農業なんです。その証拠に平地の田畑は肥料をやらないといけない。農薬をかけないと成り立たないのです。ところが、山のコバ作という農業は、基本として肥しもやらないし、農薬も播かないのです。
どういうやり方をしていたかというと、山の斜面の木の小枝をみんな燃やして種を播きます。この播く種もちゃんとルールがあって、どういうところではどういう順番に播くっていうのがある。土地の肥えたところがだんだん痩せていくわけですからその順番に合わせる。それと平地ならだいたい何処も同じことをすればいいわけですが、山の斜面は向きが変わるとそれだけで春の来方だって変わるわけです。いつ種を播いたらいいかその畑ごとに違うのです。ビニールハウスだったなら電源を入れて暖めればいつでもできますが、そういう人間の押しつけではなくて自然の条件に合わせなければならないわけですから、自然の移り変わりをキッチリ掴まえて種を播かなければならない。
焼いてから種を播くのでみんなは錯覚する。それは燃やした灰が肥料になったと錯覚を起こすのです。それは嘘です。全然違うんです。燃やした灰が肥料になるならかまどの灰を持って行ってもできるはずです。灰を播けば毎年できるはずです。それは平地の農業の発想です。コバ作、焼き畑というのは木を茂らせると毎年落ち葉が散ります。落ち葉が散ってこれが腐葉土になっていい土ができあがっていきます。この土が、貯金がたまったころに上の木の邪魔なものを切り払って、そして邪魔だから燃やして、燃やした木片も少しはありますがこうして貯金した肥料を使って作物をつくる。ですから雑草は生えないのです。作物だけだから草むしりしなくたっていいのです。
何年も続けていると雑草も生えてくるし、病原菌も入ってくるというふうになって3〜4年もするとあまりとれなくなってきます。その時、肥しをやってまたとろうとするのは平地の農業の発想です。コバ作というのは、そうなった時にはもうそれ以上しないで放り出すのです。そうすると木の芽が少しづつ伸びてくる。その時はその隣の森をまた切ってそして同じように作る。だから場所が何倍もいります。だけどもとことん相手を絞りあげてとるのではない。とれるだけ収穫をしようというのではない。向こうの都合に合わせてやって収穫するわけですからずっと自然にやさしい農業なんです。火を燃やすから荒っぽいように見えるわけです。
ただ、アマゾンなどの焼き畑は違います。そういう蓄積を使うのではなくって、今までジャングルで森であったところを全部燃やして人間用の木のない土地に住むために燃やしているから、後の環境破壊の影響が大きいわけです。その点、焼き畑といっても日本の焼き畑と区別しなければいけない。日本のように長いサイクルで同じ山を使い続けてきたところは、そこのところのサイクルを非常にうまく優しく利用している。そういう目で見直してみるとそこに知恵がいっぱいでてくると思います。
植物の方言名と学名
それから椎葉の悪口を言ったから今度は椎葉の立派なものもひとつ言います。椎葉で焼き畑をしておられる方のところで宮崎の博物館の学芸員の人が「おばあちゃんの植物図鑑」という本をつくって出版しました。いい本です。何がいいかと申しますと、焼き畑をしているおばあちゃんに、焼き畑をするそこの植物をずーっと聞いて少しづつ解説をして作っている植物図鑑ということです。これは植物の区別をつけるために植物についての聞き書きなのです。できればもっとたくさん書いてあればなおいいと思うのですが、まあ、あのくらいの方が読み易いちょうどいい量かも知れません。
どこがいいかって言うと、植物の名前が方言で書いてあります。そして植物学名は小さくちょこっと書いてある。山の人たちがよく誤解しているのは、私たちは方言名しか知らない。田舎ものですという。だからちゃんとした名前を覚えにゃいかんというけれども、これは間違いで、むしろこの方言名というのは、この山にいっぱい何百とある植物で人間とのかかわりを持ったものに方言の名前がついているのです。そこに生活をする人はなぜその植物に名前をつけたか。これはおいしいからとか、薬になるからとか、床柱にするからとか、良い柱になるからとか、ようするに人間が役に立つものを話題にするから名前がつきます。または、害がある。困った性質がある。あのトゲがいっぱいあるやつが道にいっぱいあるからあれを俺は切ってきたとかですね。話題になるから名前が付く、生活に結びついたものにだけ名前がついている。それ以外のものは名前はありません。それは名もない花です。
だから、一番に植物を知る時には、名もない花は知らなくたっていい。その土地の人の生活と関ったもの。昔の山の生活は、山の中のいろんな植物を見てみんなその植物の特徴をうまく活かした使い方をするためにみんな区別して知っていたのです。近ごろは、パソコンを操作する時のようにみんな規格を統一した形で同じ扱いをするという荒っぽいやり方になってからうまくいかなくなっている。だから植物の使い方がどうだとかいうその知恵は、今掘り返さないと後に残らないと思います。
それなら、なぜ方言でない名前が必要かといいますと、方言でない名前は、これを四国に持っていっても関東地方に持っていっても話をするという時にはこの共通の名前があった方がいいよというだけです。だから、椎葉とここならば方言のほうがいい。それが違っていたってかまわない。だけど、ここのところではこうだ、五家荘ではこうだと比較していくと、むしろこれは民俗的な非常に大きな資料を掘り出したことにもなるわけです。だから方言を調べたり、それをどう使うか、それからそれを元にしてどんな生活があったかというようなことを掘り出していく。そういうような事こそいろんな話題にしていいかと思います。
もっと、ほのぼのとした形で植物と山の人間の生活とのふれあいがある。そういうものの中でどれがおいしいとか言うのはすごく大事なことだと思います。そして昔からおいしいものはそこの処で採り続けてきて、ずーっと未だにそこにあるわけですから、だいたい無くなりにくいものを採って食べているのです。そんなような知恵みたいなものを見ていくとたくさんでてくると思います。
植物の不思議を発見しよう
植物そのものを見て植物がどういう性質をしているかということを見ていくことでも、おもしろいものがいくらでもでてくることがあります。例えば、植物が生きる時に一番生きにくい季節はいつか。これは冬です。凍ってしまったらどうにもならない。畑にいろんな作物がありますけれど、一番露骨に寒くなってダメになるものにサツマイモがあります。サツマイモの畑は葉っぱがしっかりしているのにひと霜降りたら、いっぺん葉っぱが凍ってしまったら、とたんに葉っぱはペシャンコになってだめになってしまう。そういう時に山にある植物もみんな凍るかといいますと凍りはしません。畑でもほうれんそうや大根の葉っぱならサツマイモの畑の横にあったって凍りはしません。コチコチに真っ白に凍ったって平気にしています。これには凍らない仕掛けがあるのです。
この霧立越の尾根なんかは冬になったらマイナス20〜30度位冷えるはずです。そんな中で水は必ず凍るはずです。凍ったら中に凍りの結晶ができ膨張して植物は体中穴だらけになるはずです。だけどもああいうところの植物はだまって枯木みたいにじーっとしていて春になるとぽっと芽をだします。芽のところだけは凍らないようにうまい仕掛けができている。その時に早く目を覚ますのもいるし、いつまでも寝坊するのもいますけれども、そんなものの違いを調べたり、その仕組みを考えたり、それから生き方の形だとかいろんなものを掘り出していくとだんだんおもしろいものがでてきます。
それは、いろんな本を読んでどうということよりも、実際にこの山の植物の生き方を眺めてお互いに発見し合うこと、その発見し合う時に一人で探しにいくとむずかしいという時には、この土地の古老の経験や意見を聞いてそれから山を知るというようなことをしていただく。すると、植物も、それからいろんな動物も、付き合い方というものがいっぱいでてくるのではないかと思います。
話が本来の、ご期待された話と違った方向になったかと思いますがここで終わらせていただきます。(拍手)
完
続く