1.基調講演

講師 佐野藤右衛門氏

「桜の哲学」

―桜と自然について知られざる世界を語る―

講師プロフィール

昭和 3年4月1日京都生まれ。代々、藤右衛門を襲名し、当代で16代目。14代目から全国の桜を調査、3代にわたる成果を「桜大観」「京の桜」(いずれも紫紅社刊)にまとめる。造園や桜植栽の指導でフランス、ドイツをはじめ世界各国を歴訪。京都の蹴上インクライン、円山公園の桜など内外の桜を育てている。著書に「桜のいのち庭のこころ」などがある。

 

はじめに

 皆さん、こんにちは。午前中は桜の観察でお疲れ様でございました。先ほど「今日はお天気が悪いところをどうも・・・」というお話がありました。天気の悪いのは人間の都合だけでございまして、このお天気が如何にこの植物に対して恵みを与えているか、そういうことを先ずお考えいただいたら、今日の雨は、いいお天気やなあ〜と思われると思います。そういうことで宜しくお願いいたします。

 はじめに、いくつかお断りしておきたいことがあります。私、京都弁でしゃべりますので、おわかりにくい意味が通じないことがあるかも知れません。それともうひとつ、言葉の表現についてですが、今は、表現の制限、言葉の制限が非常に沢山あります。生物と一緒に暮らしておりますとその制限された表現では意味が通じません。時々ご婦人方にカチンとくるようなことも言いますし、また、お年寄りにも、ちょっと頭にくるようなことも言わなければなりません。これは植物につなげた言い方ですので、ちょっとその辺だけお許しをいただきたいと思います。私、非常に荒っぽいんで、全ての表現が荒っぽくなります。これもちょっと前もってお断りしておきますので宜しくお願いいたします。

 桜の学術的学問的なことは、このあとのパネルディスカッションで色々と追求していただくとして、私は、現場を見て、現物を見て、何故かという追求ばっかりやってますので、そういうお話しをしたいと思います。そして、もういっぺんこの基本というものを考え直してもらい、その上でこのサクラに限らずあらゆる生物というものを考えて頂きたい。もう、サクラだけの話をしたってしょうがない、サクラはサクラなんですわ。

 

水田稲作民族は山を削る

 今日、皆さん方とこの山の高い場所へ来たわけですが私も初めてです。こういう高い所でしゃべるのも初めてで、なんかこう胸苦しゅうて、やはり都会におりますとどうも具合悪い。それ位自分の体が如何に弱ってきたかなということを先ず感じます。で、それが何故かということから入りますと、大体日本人ていうのは農耕民族なんですね、もともと。で、水耕、農耕民族の特性で、どこでも平らにする習性があるんです。もう、どんな所でも平らにするんです。家を建てるにしても、何かを造るにしても、どんどん、どんどん山を削る。削って必ず平らにするんです。だから、もう自然の荒れ方がものすごいんです。

 外国の人は麦を食います。麦は多少土地に起伏があってもどこでもできますので、案外平らにしません。家は平らですけれども、建てるのはどこでも適当に建てていって、それから森の中にも適当に建てていくんです。日本人の場合は必ず森を切り開いて平らにして、それから家を建てていきます。こういうことが日本人と違います。で、ものすごく荒れるんです。

 

基本のない世代

 我々昔から言われているのは、「植物が生える表土が 1センチできるのに100年かかる」と、そう言われているんです。そういう表土の上でうまく植物が生えていきます。そういう基本的なところからずうーっと考えますと、この頃の暮らしは、先ず、全て生活が途中から始まると言うことが皆さんお分かりと思うんです。全て途中から始まっているんです。

 と言いますのは、先ず毎日の飯ですが、昔は全部米から始まっていました。米をといで、水加減して、火加減して、炊き加減ができて、初めて飯食ったんです。今は、スイッチ入れときゃ飯はできるんです。できるというよりも飯が売ってあるんです。あちこち出かけるとホカ弁とか、いろんなところで飯だけ売ってるでしょう。だから、今は最後から始まるんです。昔はどんな場合でも飯は家で炊いていました。ほとんど今はそういう事やりません。

 風呂がそうでしょう。風呂を焚くという家が今は何軒あると思いますか。先ず無いと思うんです。「湯はったか?」って言うんですわ。風呂は水から始まるのが普通なんです。それを湯から始まるから、今の若い連中はもう蛇口をひねったら湯が出る感覚しかないんです。そういう感覚で自然界を見るんですよ。ということは、スイッチを押せば結果が即出る時代なんです。それと同じ感覚で、この自然界を見ていくから、これはもう見たってしょうがないということになる。

 

自然界に反するくらし

 今日、皆さん方が折角あそこまで行ってもらっても、桜の花は咲いておりませんでした。咲かないのが普通なんです。自然というのもは人間に合わせてくれません。だから人間が自然に合わせばいい。昔は全部そうやっていたんです。今、こういうと役所に怒られるかもわかりませんが、時間と曜日という変なもの作って、それに人間を全部合わさそうとするところに大きな問題が出来てきています。

 皆さん方は、子育てをどうされたか知りませんけどね。会場にお医者さんがおられたら、また反対のことを言われると思うんですが、今の若い人は自分の力で子供を産んでいないでしょう。病院で産んで帰って来るでしょう。それで年がいったらまた病院へ行って病院で死ぬんです。昔、病院と言う所は、治しに行く所やったけど、死に行く所やなかった。病院で子供を産んでくるから、死ぬときも皆病院へ行って物になって帰って来よる。

 そして、今の若い女の人は自分の乳やらんでしょう。何故、乳をやらんのやと言うたら、体型崩れたらかなわんという。今の若い嫁さんは、子供のことよりも自分の体を先に考えるんですわ。母親の乳がこう垂れ下がってきて、へその辺まで垂れた乳を見て、初めて私らでも母親ということを感じましたけどね。 70、80才になって女の乳が上向いてとんがってたら化け物みたいだ。下がるのが自然なんです。その自然も忘れてるんです、今は。

 病院で産んで、子供を連れて帰ってきたら前へぶら下げてるでしょう。あんな怖いものないと思うんですよ。というのは、もし子供を前へぶら下げて荷物持って歩いて、けつまづいたりしたら後じゃなくて前へこけるんです。それで、子供がグチャと先にクッションになるんです。そしてね、子供をおんぶしたら後ろ向きにするでしょう。親が歩くと子供はバックすることになる。毎日ずうーと。 (笑い)

 子供が小さい間はバックさしといて、反対に育てといてやね、そこそこ大きくなってから言うことを聞かんというのは、当たり前やっていうんですわ。初めから背中にくらいついて同じように前向かせて、親と同じ視点にくらいつけておけば全部わかるんです。どこ行くのも反対を見せる。親があっち行ったら子供はバックしてる。こんなおかしなことはないっちゅうんですわ。猿を見たってそうでしょう。猿の子供は必ず背中にくらいついて親と同じ方向向いてるでしょう。反対向いている奴はまずいないです。カンガルーでも袋に入る時はあっち向いて入るけれども、入ったら必ず親と同じ方向です。人間だけ子供を逆に育てるんですわ。これも、自然に反するんです。そういう人達が山へ入ったって入ってるだけで何にもわからない。

 

自然と一体化していた伝統文化

 先程言いました飯でも、今はもう殆ど箸で食う子供はおらんでしょう。皆んなこう、ガーって突き刺して食ったり、妙な事ばっかりやっている。食器がそうですわね。日本の場合は飯食う時、口から迎えに行くでしょう。こう器を持って口から。で、外国ていうのは、インド辺りは手で食うところもありますが、ヨーロッパ辺りは皆、両方の手を使って運ぶんです。手で運ぶんです。その代わり、茶碗はないですわなあ。皆、皿やから。それで、汁自体でもすくって吸うでしょう。全然うまいことないです。あれで、音させたらいかんとか日本人はあんな事ばっかり言うんですけれども、みそ汁は音ささんと吸うとったらまずうてまずうてしゃあない。

 で、いわゆるお碗。ああいう物でもだんだん工夫されていろんな漆器がある。それの絵付けから入る漆の物。すごくいい文化がいっぱい伝わっているんですが、それも全部無くなってるんです。茶碗一つでもそうです。いつも思うんですけれども、どんぶり茶碗。あの大きさを初めて作った人は偉いと思うんですわ。あれ一杯でちょうど腹膨れるんですよ。もうちょっと大きかったら重とうて持てへんし、山盛り入れたら食えませんわな。ああいう物を最初に考えた人が偉いと思うんですわ。だから、ここのサクラを最初に見つけた人は偉いと思うんです。そのものよりもそういう考え方でずーと自然界を見てますとね。非常にこの今の日本はもうデタラメなんですわ。

 今日は、あのサクラも咲いてなかった。「いやあ、つまらん」と思うたらもうその人は一生つまらん生活を送る筈なんです。あれが咲いたらどうなるやろう、どんな色やろう、いつごろ咲くやろう、って考えてるとね、また行こうという気になるでしょう。で、また行けるからいいんですねん。行こうと思うてもいけんようになったら、白木の長持ちに入ってるだけなんですわ(笑い)。生きること自体が幸せなんです。そういういろんな考え方、それをずーっと考えてやっていくとね、もっともっと楽しい人生が送れる筈なんです。

 あのサクラの色でも、私ら話を聞いている中で非常に珍しい色ですが、サクラ色という色、これもまたどこにもないんです。日本だけなんです。会場には色々絵を描く先生もおられるんですが、サクラ色はどの絵の具やったって絶対ないです。ふじ色もないです。あずき色というのもないです。茜色もないです。それを日本人はみな作り出すんです。これだけ繊細な、ものすごくいいものを日本人は持っているんですが、アメリカかぶれてしもうてどうしようもないんです。山へ行って漆にかぶれたら一週間で治るんですが、アメリカにかぶれたやつは 50年経ってまだ病院通いが続いてるんです。この病気治すのには、あと100年かからんと治りません。どんな病気でも必ず倍かかるんです。

 

自然に触れてゆとりを持つ

 私ら皆さん方とこの自然界見てもらいます時ね、たまたま、今日は、まあ日曜日ですが、自然は土曜も日曜もないんです。人間だけが 2日も3日も休みとなるとこんなことしている。もうひとつ怖いのは学校が全部休みになるでしょう。そうするとこれからの子供は、週5日しか働かんという生活のリズムができあがるんです。誰がこの林業、農業、やるか、誰もやりませんてもう。そこが怖いんです。もうそうなった場合に、食うもんが無いんです。今、食料は外国から80パーセント入ってきていますが、バタッとこれ止まったらどうなるかです。

 我々の年齢では、まだ少し山を歩かれる方は、道端の草ひとつにしたって食べられるもの、薬になるもの、毒になるもの、全部分かっているはずなんです。今日、皆さん方が山歩かれるの見ていても、やはりしょっちゅう歩かれているから、いわゆる山のルールとマナーをきちっと守って歩いておられるんで、「あっ、なるほどなあ」と思いました。それを若者に教えてやらんとね。そうしないとこの自然界は絶対維持できなくなると思うんです。

 そういう風に見ていきますと、今の皆さん方の年代で、次の若者に何を教えていくかということが解ります。やはりもっと自然に触れていきませんと絶対うまくいかないと思うんです。その 1番いい例が、この間からいろいろ警察とか、いわゆる制服組の不祥事がどんどん出てたでしょう。あれが1番いい例なんです。今、みんな箱の中に住んでね、そして次の箱へ移って行くんです。勤める場所も箱、働く場所も箱なんです。箱から箱へ行く。その行く道中もほとんど他のものに触れずにスッと行ってしまうでしょう。

 先ず車。交通機関もすべてスイッチでコントロールされてますので、頭の中がカチンカチンなんです。だからちょっとスイッチ押し間違えたら修正がつかないんです、ずーっと行ってしまうから。で、たどりついたところで、すでに遅いんです。もっともっと頭の中を軟らかくする事やらんとね、どうしようもない。もっともっとこの自然というのか、山を歩かすというのが 1番いい事なんです。

 

植木屋の教育

 昔の警察というのは、もっともっとのんびりしてたでしょう。ほとんど警察署は皆、庭があって暇な巡査が、草ひいたり、チョンチョンと木の枝切ったり、警察の署長いうたら、用が無かったら半分は盆栽いじりですわ。盆栽やっているから頭が軟らかいです。何かある時には、パーンと的確に反応していたんです。今、仕事が詰まりすぎてるもんやから、もうどうしようもない。

 あの自衛隊の不祥事、人数の割りに少ないよ。あれはもう今最新式のおもちゃ持たせて、野っぱら放り出してあるからね。昔の軍隊でもそうなんです。締めるだけ締めて、放り出すだけ放り出して、そして、先程ちょっとお断りした様に、ある時期がきたら、やはり女の所へでも放り込むんです。で、何もかもスカーとしてるんです。それでケツたたいたら、なんぼでも動きよるんです。そういうことが無くなってしもうてね。なんでもその、プライバシーだとか、人権尊重とか、変な事ばっかりやっていくもんだから、全然のんびりした人間ができて無いです。

 我々は幸いに植木屋ですので、植物ばっかり扱こうてますので、人間扱う以前に植物を理解するでしょう。この木はだめとか、これは今切ってもいいとか悪いとか、寒がりとか、暑がりとか、その様にやっていきますとね。人間関係もすごくうまくいくんですよ。相手を理解しようとするんです。で、一番困ったんわね、一応あの造園科のある大学を卒業して、私のところへ 4月に来ますわね。1昨年は5人入ったんです。ところが7月になると3人おりませんね。なんでかて聞いたらね、夏がこんな暑いもんやとは知らなんだちゅうんですわ。これで分かるでしょ。どんな学生生活しとったか。全部空調のある中で生活しとるから体がもたんのです。それが現状なんです。

 それで木に登らすとね、必ず落ちよるんです。木に登るということはしても、この木が何であるかということは、もう分からんわけです。木にはいろいろと性質がある。あのポキッと折れるやつ、それからメリメリといくやつ、いろいろあるんですが、同じ様に登ってしまうんです。そして 1本の枝に体全部と両足乗せよるんです。それが折れたら落ちなしゃあないでしょう(笑い)。だいたい木に登ったら両方の足を別々の枝に乗せるんです。するとどっちかが折れても、どっちかで止まるんです。枝がなかったら、グッとしがみつけばいいんです。しがみつく事すらようしません、今の若い連中は。ということはいかに女をうまくよう抱かんかなですわ。手ばっかりつないどるさけ。このようにして若い子達に、色ごと交えながら私ら教えてるんです。あれは、あーです、これはこうです、君はこれしなさい、はい良くできました。そんないうたらすぐ忘れるんです。いろごと適当にいれていくとね「ああ、あの時おやじさん、あんなこと言うとったな、あれがそうか」というて絶体忘れません。

 我々の仕事はマニュアル絶対無いものやから、もうその場その場でいろいろと表現を変えながら教えてるんです。木に登れていうたらダーッと登る。登ることは登っても、上ではやっぱ怖がって仕事はようしません。で、ポキーッて音がしたら、音がしたとこ見るより、下見た方が早いんです。メリメリッていうやつは、どっかにぶら下がってるんですけど、ポキーッていうたら、もう下でウーンと言うとるんですわ (笑い)。で、ウーンって言うとる奴は、あわてて行かんでもよろしい。黙って泡ふいとったら、ちょっと大変やけども。その位のことはしょっちゅうやっていくんです。木にしがみついていても、そのままズルズル落ちていく子もおるんです。落ちる時には膝をグッと締めればいいんだけど、膝を締めることができない。こういう話すると怒られるんですが、軍隊で馬に乗ってたら、もう膝さえグッとしめたら絶体落ちんからね。そういう事すらできないんです。

 小学校に行ってみてください。あの平均台に上って行くのに下は全部マット敷いてあるでしょ。怪我せんようにいうて。だから今の子供は落ちることを楽しみにするんです。我々の頃は、落ちたら笑われるからなんとか渡ろうとしたけど、今の奴らかっこよう落ちよるのやから。そういう奴が木に登って落ちよるのやから、たまりませんでそりゃ。そしてもう危険な仕事さしたて言うでしょう。危険なことではないんですよ、自分が危険なことをしているだけなんです。

 我々は習性でこの建物のような屋根の上には上がれません。私らは木の上でフラフラ揺れてると楽なんです。カチッとした堅い所、こういう所に上がると足がガタガタ震うんです。で、木なら、もう 20メートル、30メートル上まで登っても、フーラフラ揺れてる方が楽で仕事しやすいんです。自分でこう調子にのってやるんです。私、電車やバスに乗るとき、近距離の場合は絶対座りません。立ってるとまずボケないでしょう。体が戻そう、戻そうとしよるから。吊り革にぶら下がったらあかん。やっぱ腰で立たんと。腰でグッとこう立って支えてたら体が戻ろう戻ろうとしよるんです。

 

自然の摂理と男の根性

 今日の皆さん方は山歩かれてるから大丈夫なんですが、そこそこのお年になられてもね、綺麗な老人福祉とか言うて、大きな建物建てて、そこへ皆一緒に入って、その中でアホな事して遊ぶのは絶対やめてほしいんです。同じ年齢のもんばっかりが、同じ所で遊んでたら同じ様にボケてますねん (笑い)。若いもんと交流してたら絶体ボケないんです。それと、ここの桜もそうなんですが、やはりこの営みを忘れていくと、すべてがダメになります。どんな生物でも雄は雌を求めて、雌は雄を受け入れるっちゅうのが、これがもう自然なんです。

 私、酒は全然飲みません。体が受け付けないんです。その代わりタバコはもう蒸気機関車程吸うんですわ。もうタバコきれたらだめなんです。で、うちのかかあにも言うんです。「わし、もう、タバコと女がきれたら仕事せぇへんぞっ」て。酒は飲まんけど遊ぶのは大好きやから、必ず 12時まわってから家に帰ります。12時前に帰るから遅いて言うんで12時まわったらオレ1番やて言うんです。それと、上着を脱ぐくせがあって、どこでも脱いでポイッと置いて帰るんですわ。3日程忘れてしもうて、ほいで、かかあに「あの服どこやった」言われるから「そんなもん知らん」て言う。そら知らんはずですわ。持って帰ってないんやから。「ああ、あそこへ忘れてきた」と言うと、またグズグズ言うでしょう。まあ女はグズグズ言うて一生暮らすもんやから、言わんようになってきたら終わりやからね。それで「服が先送られて、冷たい体が後から送り届けられたら、お前どないする?」ちゅうんですわ。「生身が先に帰ってるんやから、服の一枚、二枚やかましゅう言うな」ちゅうんです。もういつもそういう馬力持つんですわ。

 私まだ結婚してから、かかあの名前呼んだことないんですわ。「おい」しかいいませんねん。それで「おい」の言い方によって何を求めてるかちゅうのをかかあすぐ分かるでしょう。それが本当の夫婦なんですよ。「ちょっと、〇〇ちゃん、あれしてちょうだい」なんちゅうのは夫婦と違うちゅうんですわ。他人同士がたまたま一緒に住んどるだけでね。「おい」ちゅうて返事しよらんだったら「やい」ちゅうたらよろしいんですわ。それでも返事しよらへんだったら「こら」言うたらとんできますよ(笑い)。男は、その位の根性持たんとね。

 花を見てもろうたらよう分かるでしょう。どんな場合でも雌しべは 1つしかないんです。まあ中には2つある、ちょっと変わりものもあるんですが、雌しべは必ず1つで、そのまわりに雄しべが大体20から30、多いのは50あるんです。これ何故か言うとね。確率がものすごーく悪いんです。花粉があれだけ、どんどん飛んでもあの中で種になるのはわずかなんですよ。サクラの花ひとつにしたって雄しべがものすごく多いんです。人間でもそうでしょう。あのスプーンに1杯ほどの中におたまじゃくしが1億か2億いるんです。まあ、仮に1億にしてもね、1億分の1しか子供できないんですよ。完全にできても1億分の1なんです。子孫を作る確率がものすごーく悪いんです。だから、雄はあちこち蒔きに行くのがこれが本能なんです。

 だから、ちょっとでも開いた壺があったら蒔きに行こうとするんです。これはもう本能というよりも自然の摂理なんです。蒔きに行く奴は蒔きに行かしとかんと子孫が絶えるんですよ。家でもめるのは勝手にもめて下さいよ。これはもう雄の一番大きな使命なんです、どんな場合でも。だけど、蒔いた時にはきちっと始末をしとかんとうまいこといきませんのでね。そうでなかったら、ぎょうさん保険金掛けられるから。保険金が掛かった時は、じゅうじゅう気を付けてもらわんとね (笑い)。それで、そういう基本を考えてもらってサクラの話しへいきたいと思います。

 

サクラの見分け方

 私らは、サクラの分布を大体 3つを基本にするんです。まず、日本全国にある「ヤマザクラ」これを1つ、それから「ヒガンザクラ」、それから「オオシマザクラ」、この3つから系統をずうーと拾いだしていくんです。で、この拾いだすときに何を見るかというと、まずその芽だしです。芽だしを見ると大体「オオシマ」系統か「ヤマザクラ」系統か「ヒガンザクラ」系統かわかります。それで我々の見方は「ヤマザクラ」の場合、まだ花が咲いてなかっても皮の目を見る。皮目が全部横になってるでしょう。今日、見てもらったサクラもそうなんですが、全部横なんです。「ヒガンザクラ」は必ず縦にビュウーと皮目が走るんです。だから、縦皮ザクラとも呼ぶんです。「オオシマザクラ」の場合は、伊豆の大島が原産地ですので、どうしてもあったかい所にありますので、横目と縦目とが出てるんです。横目の方がきつく、ちょっと荒いです。

 俗に言われている「ソメイヨシノ」ですが、あれは私らはサクラの仲間へは入れておりません。というのは、あれは結実しないので接木などで増やします。つまり「クローン」だからです。「済州島」から来たとか東京の「染井村」で作ったとか言われているんですが、もうひとつハッキリ我々も分かりません。「ヒガンザクラ」と「オオシマザクラ」を掛け合わせたと俗に言われています。「ソメイヨシノ」は、皮目が縦目と横目と両方あるんです。そういうことから見るとやはり「ヒガンザクラ」と「オオシマザクラ」とを掛け合わせたんかなあと言うのが我々の見方です。学問的な事はまた別として、そういう見分け方をしていくんです。

 

サクラの分布とサクラ前線

 鹿児島からずうーと日本列島北へ上がりますと群馬県まで位は通常の「ヤマザクラ」、それから北へ行きますと「ベニヤマザクラ」(注:オオヤマザクラの別名)に変わっていきます。北海道、稚内あの辺まで大体ずうーとあります。「ベニヤマザクラ」は、もう皮肌もぜんぜん変わってきます。もっともっと紅くなりますし、ツルツルになります。それを山で適当にまびいたものを皮細工として、「茶筒」や「まげわっぱ」などの小物に皮を貼って使う。そのほとんどが「ベニヤマザクラ」系統なんです。

 「ヒガンザクラ」は、この熊本の南の鹿児島に大口市という所があるんですが、あれからちょっと入った谷があるんですわ。そこに一本ごっついのが残ってるんです。それが、まあ大体南限やろうと言われてます。「ヒガンザクラ」もどっちかいうと、やや寒い地方の方がよくできます。東北地方には、非常に大きなものがいっぱい残っています。「オオシマザクラ」ちゅうのは、さっき言いましたように伊豆半島、伊豆の大島、あの辺に分布してるんです。

 日本列島を北へ上がって行きますと「マメザクラ」系統が山裾のやや高めのとこにずうーと並んでます。で、そういうものが日本列島の真ん中の山を境にして、日本海側と太平洋側に分かれて、その土地土地に合うた状態で出来上がってきて「キンキマメザクラ」と呼ばれるようになります。太平洋側へ行った場合、富士山の見える所になると「フジサクラ」と呼ばれています。それから日本海から、ずーっと上がっていきますと、白山系統のあの辺になってくると、今度は「ミネザクラ」とか、「チョウジザクラ」になる。私らはそういう風に見ていきます。

 それから、千島列島からカラフトにかけて、「チシマサクラ」、それから「エトロフサクラ」がある。昔は、北海道の根室、それから稚内あたりにも自生してるんですが、なっかなかこいつに会う事が出来ません。今は千島へ行くことができませんので「チシマサクラ」はもう、まず本物は見られません。根室にはちょっと残ってるんですが・・・・・。それから、稚内からちょっと行った所に「利尻島」と言うちっちゃい島があり、そこに 1500m位の「リシリ富士」と言う大きな山があって、その辺の八合目位に「エトロフサクラ」が群生してる所もあります。

 そういうことで、花見をしようと思ったら、まず 1月の30日位からはじまります。これは、沖縄がちょうどその頃です。それから鹿児島に上がってボチボチボチボチ北海道まで行きます。北海道では遅いのは7月迄ありますので約半年間花見ができます。ブラブラブラブラ行きますと、ちょうど太平洋側と日本海側とで3日か4日位ちょっと変わりますのでジグザグに行きます。半年間ブラブラ遊べますので、もし時間がありましたらやってみてください。その位の余裕持ってもらうとおもしろいと思います。

 

サクラの見方楽しみ方

 山桜の芽は、まず青芽、それから茶芽、赤芽など芽が早く出ます。そこで山桜のことを、我々は、もう俗っぽい言い方なんですが、すいかを食べるのが早い人、これお分かりですね。花より葉が先でますので、すいかを食べるのが早い人は、だいたい「ああ山桜系統やな」と思ってたら大丈夫です。(笑い)このごろは、皆さん歯を矯正してますので、あんまり山桜の人見ません。

 それから、花はもういろいろです。全部自然交配ですので、極端なこと言いますと一本一本全部違います。山桜の場合はもう全部、個性持ってます。それで先程いいましたように「ソメヨシノ」は個性が無いので我々は桜の仲間に入れない様にしてるんです。五ケ瀬は案外「ソメヨシノ」は少なかったんで、ああいい所やなと思ったんですが「ソメヨシノ」は九州で見ても青森で見ても同じなんです。全然個性がありませんので、あれ見てるんやったら、まだ絵はがき見てる方が綺麗なくらいなんです。できるだけ皆さん方も、今後「ソメヨシノ」を避けて自然の物、実生から出来るいいものを探してもらう方がいいと思います。

 「ヒガンサクラ」は、これはもうご承知の様に 1番先に咲きます。それで彼岸桜と言われているんです。もともとの「ヒガンサクラ」は真っ直ぐ立つものなんです。その中で枝が垂れるものが出てくる。これが「シダレサクラ」なんです。で、「シダレサクラ」はもう99%まで「ヒガンサクラ」なんです。「シダレサクラ」には垂れ方が3通りあります。地面までずっーと下がるやつを「大垂れ」、それからちょうどこの背丈よりちょっと上位で、うまい具合に傘の様にこう垂れてくれるやつを「中垂れ」、それから上の方だけちょっとしか垂れへんやつがあります。これを「しみっ垂れ」とこう呼んでいます。今日の様な雨降りの時には、「花垂れ」とかいろいろ見方がありますので同じ見方でもそういう風に見ていくとね、「いやー桜がどうとかこうとか」と言うよりも楽しいんです。

 

サクラと日本文化

 「オオシマサクラ」はどっちか言いますと、花よりも葉の方が良くできます。花も紅がありますけれど、ほとんど白の方が多く、花の数も案外少ないです。その代わり葉っぱで人の役にたってくれるんです。この辺にあるかどうか知りませんが「桜餅」、あれを包んである葉っぱは、もうほとんどと言っていい程「オオシマサクラ」なんです。「オオシマサクラ」は、非常に葉が大きい、それと表面の毛がものすごく緻密に生えてるんです。毛が短くて緻密に生えているんでバイ菌類が入りにくい、それを利用するんです。竹の皮や柿の葉とか、ああいうものも全部そういうことで、保存食を作る為に包むものなんです。桜餅の葉っぱは、ほとんど「オオシマサクラ」と思っててもらったらまず間違いありません。

 それから花の塩漬け、おめでたい時の桜のお茶ですね。これは地方によっていろいろ違います。京都の場合は 4月の花見時は、いわゆる男女のこと、特に婚姻関係、これはもうだいたい嫌うんです。こちらにもいろいろと風習はあると思うんですが4月の結婚式は京都じゃまずやりません。なんでか言いますと、「花の縁は散りやすい」と言うて、まずだめやちゅうんです。東北地方へ行きますと農耕の目安として花を見ています。「花が咲いたらぼちぼち籾を下ろそうか」とか、「麻を蒔こうか」ということで「麻蒔き桜」とか「籾蒔き桜」といわれて、村の中心に必ず1本大きいのがあるんです。その下に祠があって、そこにみんなが寄って話し合いする。「今度、田の水をいつ引こうか」とか、どうしようかとかいう、そういう話し合いの場所を桜の下でやってます。このように土地によっていろいろ言い伝えがあります。そういう昔の言い伝えを考えていきますと桜の見方も非常に面白いんです。

 だから「談合文化」です。日本から談合をとった場合には日本の文化はなくなるんです。警察や役所が談合談合てやかましく言いますけど、あの談合取り外したら日本の文化はまず成立しません。すべて、日本は談合で成り立ってますので。というのはこれはもう四季が必ずあり、この四季の移り変わりも談合の世界で全部出来上がっているんです。ただ、金を持って悪い事する談合だけは止めんといけませんが、この話し合いの談合、これはもう日本から取ったらだめやと思います。よその国の場合は、ほとんど談合はありません。その代わり現実は、もっとえげつない事やってます。もの凄いんですよ。あんまり言うとまた国際問題になるとかなわんので言いませんが非常に難しいです。その国々によって皆やり方違いますのでここで日本をグッと引き戻さんといけません。

 日本へ来た外国人がびっくりするのが新幹線のホームです。あんなうるさい所で日本人は、よう辛抱しちょるなっちゅう事です。その次にはバスとか諸々の施設です。あれだけうなり倒さんと日本人は理解がでけへんのかっちゅうんです。皆さん方、外国旅行された方もあると思うんですけれども、まずアナウンスないでしょう。地下鉄にしたって時間が来たら勝手に行くんです。自己責任と自助努力で皆やるんです。新幹線でも「黄色い線まで下がれー、飛び乗り飛び下りは危険やからやめてくれっ」ちゅうんです。当たり前やちゅうんですわ。

 もし、そこで事故があったらその人の責任を問わずにそこにいた駅員を先に責任問うという日本人ちゅうのは、おかしいっちゅうんです。パリ行かれた方あると思うんですけど、あのパリの地下鉄ていうのは自分で開けんと乗り降りできないでしょ。必ず降りるのも自分でカチッと開けて。この頃ちょっと変わりましたけど、必ず自分で開けて乗り降りするんです。閉まるのは勝手に閉まるんです。パリ辺りからロンドンへ行く。あちらの列車でもアナウンスもなんにも無いでしょ。時間来たら勝手にスーット行くんですよ。それが普通なんです。日本では、山歩く時に案内板があって親切、丁寧に書いてあります。あれも同じことですね。

 

山歩きの極意

 私、いつも山に入る時、磁石と高度計など全部持って歩くんです。自分がだいたい何処にいるか分かります。鳥の鳴き方、動き方、それからお天気が晴れの時は影でも分かります。雨降りの場合は山へ入らん事です。昔から、雨降りの山行きは股ぐらから濡れるいうてます。上からよりも下の方が先に濡れるでしょ。腰から下が濡れていくもんやから「上よりもズボンの下を濡れんようにせぇ」といいます。

 今日も経験されたと思うんですが、山の斜面登る時、一列に並んだら必ず下のもんは石にあたるんですわ。どんな場合でもジグザグで上がって行く。狭い所は一列に並ぶんですが必ず三尺離れて歩く。「男子は一間離れて歩け」ちゅうでしょ。真後ついて歩いたら、先へ行った人が木の枝を戻したら、バシーッと顔をしばかれるんですよ。で、三尺離れていると、だいたい柴は戻りますのでしばかれることはまず無い。離れたら絶対大丈夫なんです。怖いと思って真後ついたら必ず 2番目にパシーッとしばかれます。この辺は「マムシ」がいるかどうか知りませんが「マムシ」も必ず2番目のもんにガブーと食らいつくでしょ。1番目のもんに脅されて、2番目にガブーっていきよるから(笑い)。この習性もやっぱり全部覚えてから山入らんと大変なことになります。

 この前、あるカレンダーに幼稚園の子供が石垣を登っている微笑ましい写真があったんです。それも皆、同じ所に上下登って一つの石に両手を掛けているんですわ。こんなバカな写真撮ってよう載せるなあちゅうんです。「上のもんが落ちたら皆一緒に落ちるでー」ちゅうんですわ (笑い)。そういうことすら上手いこと教えてないから若い連中が山、上がったら失敗する。

 私は、山では必ずライター以外のマッチ持ってるんです。マッチを昔のカッパにグルッと包んでポケット入れとくと、どんな雨が降ったってわけないでしょ。今のライターを過信しすぎるとね、カチッとやって火が点かなかったら絶体点きません。マッチの場合は絶対大丈夫なんです。多少湿気がきててもしばらく肌で暖めてパッとやるとすぐ点くでしょ。風のある時には、箱ちょっと引いて、その中にバッといれるとこれも消えません。そういう、昔の人がやってる事をずーっと見て、それをそのままつないでいくとまず間違いないです。

 もし、夜、山へ入って迷った時にはそこで寝るんです。寝る時に窪み探してね。窪み探して、枯れ枝探してきてね。そこで火焚くんです。で、ほとんどその火が無くなった時に、今度は青い葉をその上に乗せて蒸すんです。それで今度は、移植こてかなんか持ってますので、グーっと土を集めてその上にまた敷くんです。その上で寝てたら絶体凍死しません。電気毛布よりあったかいんですよ。ホコホコホコホコと。慌ててそのまま、まだ火がカッカカッカしとる時にやったらあきませんで (笑い)。そのへんの加減だけはやってもらわんと大変な事なるんで。

 山には、葉っぱの大きいものが必ずあるんですわ。ここは「フキ」をあんまり見なかったんですが「フキ」のある所が 1番楽ですわ。「フキ」を上から乗せとくんです。雨は降っても大丈夫。下からはホクホクするわ、あんな寝やすい所ないですよ。ただし、山が鳴く時あるでしょ。幹が擦れてキューちゅうて。まっ、その時のそら寂しいこと。もう背筋がゾーっとするんです。でも、あれは木が擦れて鳴いてるということが分かればもう怖くないんです。自然というものを、もっともっと知ってもらう上でね、こういうバカなこと言いながら基本をたたきこんでもらいませんと。

 

山歩きで新発見を

 今日こうして山へ上がってもらって、訳の分からん様な所行って、きつい斜面を降りて、花も咲いてない幹だけ見て、「ああーしんど」やったと思います。しかし、冒頭に言いました様に考える力が湧くんです。本当にどんなんやろうとか、咲いた時にどうなるやろう、そして、お天気の日に行ったらどうなるやろうと。こんな日に行ったことは、一生忘れませんね。「あの日は雨やった、嫌やった。」絶対忘れませんのでね。だから、今日は 1番いい日やと思うんです。今度は、あれ見てもらいながら降りて行きますと、まだ山桜がちょこちょこ残ってますので比較してもらうともう一つ良く分かるんです。

 先程言いました様に、あの桜はどうしてうまくああいうものが出来たのか。何が運んでくれたのか。下の方にある山桜を見てもらっても分かります様に、必ず近くに並んでありません。桜は、どんな場合でも自然では実生ものですが、種が成って下へ落ちても自分の木の下では絶対生えません。必ず離れたとこでないと生えないんです。それが点在してますので非常に綺麗なんです。そして、いろんなものと交配してますので、時々ポコーンといいものが出てくるんです。それを捜し当てて接ぎ木で殖やしていくんです。そうなってくると、雌しべが退化してしまいますので種が出来ません。仮に、ものすごいものに変化しとっても種が出来て蒔いたら元に戻ります。それは、もう 1代きりのものなんで、接ぎ木で殖やしていくんです。

 もし、皆さん方が山を歩かれて、ちょっと変わったものを探してもらいますとね、いろんなことやりながらそれを日本全国のやつと全部合わせていくんです。で、どっかが違う、完全に違う、というものが出て来た場合には見つけた人の名前を登録してしまうんです。そういう風にやっていきますので来年辺り山歩かれて、もし変わった花を見つけられたらすぐ電話してほしいんです。必ず調べてもし変わったものがあれば、その人の名前か、その土地の名前、そういうものをつけていきます。いわゆる「ヤエサクラ」系等、ああいうものは人の名前とか、土地の名前、神社、仏閣の名前、こういうものが多いんです。せっかくですから皆さん方がただ山歩かれるよりも何かに興味を示しながら歩いて頂きますと新しい発見がまだまだあると思うんです。

 

雌しべはドーンと構える

 ここの桜の事も、もっともっと深い何かがいっぱいあると思うんですけど、これはもう後の先生方にお任せするとして、私、日本国中を歩いてみます時にね、「どこの花が一番いいでしょう」とか「あなたどこの花が好きですか」てよく聞かれるんです。そういうものは一つも無いんです。もう皆、一緒なんです。と言いますのは、私、男やから女は全部好きやっちゅうんです。男であって女が嫌いやっちゅうやつは、ほんと男のうちに入らんと思うんですよ。これは、やっぱりもう根性が大事やから。

 女の人ちゅうのは、待ってたらよろしいねん。うろうろするさかいおかしいんです。雌しべは、ドーンと構えてたらよろしいねん。なぜか言うとね、漢字を見てもらったらよく分かるでしょう。男へんの字はいくらもないんですわ。女へんとか女つくりちゅうのは、 200字近くあるでしょう。それだけでも1番最初は女ですわね。女で良いのが娘ですねん、悪かったら娘にならへん(笑い)。それに家が付いて初めて嫁。ちょっと違う字を付け加えるだけで違う意味のものが出来るんです。女はそんだけ間に合うんです。

 男はいくらもないんです。冒頭に言いましたように農耕民族やから田で力を入れて頑張ってるから男なんですわ。で、それだけに時々、間を持たせてやるんです。そしたら、ものすごく勇ましくなりよるんです。ちょっと間やるだけで。で、その間とったら、まぬけなただの男に変わる (笑い)。単純なもんなんです男ちゅうのは。字から見ても分かるでしょう。日本はそういう深い文化があって、それを自然界に当てはめていくんです。だから、冒頭でお断りしたように表現の中で今、言うてはいけないとかいわれる言葉を入れていかんと間に合わん事がいっぱいある。花の受精の仕事でもそうなんです。交わらん事には実らんでしょ。これが、もう第一の基本。

 

もっと基本を

 皆さん方はお孫さんのいらっしゃる方が多いと思うんですが、できるだけ子供は長い間這わしとくんです。長く這うてる子供ほど丈夫なんです。下半身と上半身が同じように発達するでしょ。えらい這うてるからそれを可愛い可愛いというて早いことピュッと立たすから腰痛起こすんです。牛や馬、ゾウにしたってあんだけ大きな図体の奴が全部 4つ足で支えてるから、あれだけ重たくても大丈夫なんです。牛や馬がちょっと働きすぎて腰痛くなったいうて針や按摩に行く奴1頭もおりません。ものすごく上手くできてるんです。

 それから、特に今の若い連中、何処でもバターッと座ってるでしょう。あれ、無気力だからなんです。ヤンキー座りとか言って、男も女もちょちょこばってるでしょう。今の若い奴しゃあないですわ。あちこちの公園などの階段で何処でも座ってるでしょう。あんまりひどい時、私 1番上へ上がって、下むいてしょんべんしました。ダーッて。そうすると、「そんな所でしょんべんしやがってー」文句言ってくる。してんのと違うて垂れたんや、辛抱ができんなったちゅうんですわ。ほーいで皆とんで行きますわ(笑い)。中にはクーッて来る奴おりますやろ、グッと来よったら、ニターっと笑うんですわ。そうしたら、絶体よう来ません。ウエーと笑ろうてね、それから、ボチボチ眼鏡はずします。昔から、眼鏡はずすちゅうのは、お互いにいくという意思表示やから、どつくならどつけー、こっちもいくーという。眼鏡かけとったら、ほれバーンと目を怪我するんで。極道筋の場合、昔から飯食うの「にぎりばし」で食うでしょ。2つに割らずにグッと握ってかきこむでしょう。これは、もう武器やからです。だから、もし、そういう事があって「にぎりばし」で飯食うとったら気を付けてもらわんとね。目を突くんですね。

 我々、庭作る場合に石置くでしょう。ああいう涸れ池の石とかあるでしょう。ほいで、ああいう山の斜面で大をもよおしてアレした時にね、ころころっと転げて落ちてパタッと止まる。この止まったとこが一番安定するんです。石もそうなんですわ。どんな物でもゴロゴロッて転げてきて止まったところが一番安定した角度なんです。それを基本にして庭を作ってるんです。それがもう基本なんです。山歩いてもらって、女性には無理ですけど、男の場合小便する場合には、必ず下を向いて小便するでしょう。よく見ると必ずそこが肥えているんです。昔、馬の通る道の話、聞いてましたけれど、あの街道沿いの木は大きいでしょう。草鞋を捨てる、それから馬糞をはねて行く。ものすごーくうまくできてるんです。

 ひとつだけ、お叱り受けるかもわかりませんが、あの山には歩きやすいようにやられたんか知らんがビニールのネットが張ってあったんです。あれだけがちょっと気掛かりなんですが、あれはなんでネットを張ってあったんですか?。(会場に尋ねて)あの歩道のネット。お気付きやなかったんですかいな。これだけいろいろと自然のこといわれているのに何故山の為にならん邪魔になる腐らん物をわざわざ張られてるのか、あれだけはちょっと残念やなと思うんですけどねえ。私気になります。どうしても必要というなら他に方法があると違いますか。ムシロとかね。そういうものでやっといてもさほど変わらんと思うんですけど。どんなお感じやったか知りませんけど、もったいないなあと思いながら歩いてたんです。(会場から「法面保護のための種子を仕込んだネットと思います。その種子の植物は消えてなくなりネットだけが残っていると思います」と説明あり)そうですか。あの吹きつけのあれですか?。ははあん。でも、役に立ってませんねあれ。はっはっ。何か効果ありました?。どうですやろ。はあ〜。効果なかったらすぐに外してもらう方が賢明やと思うんですけどなあ。

 今日、山歩かれてどの程度お気付きになられたか知りませんが、あそこに「シャクヤク」が自生しているのでびっくりしました。この土地は、ああいうもんなんです。やはり、いろんなものを見たり聞いたりと言うことが、如何に大事かて言う事がよく分かりました。皆さん方もこの「サクラ」のことばっかりいうよりも、もっともっと基本的にいろんなものを見てもらっていろいろと楽しんでもらう方がいいと思います。 

姥ザクラをめざして

 最後に「サクラ」にまつわる事で特に女性の方にお願いしたいんですが、年とったら必ず姥桜になってほしいんです。この姥桜ちゅうのはね、なっかなかなれるものじゃないですよ。歳がいってねえ、幹はもうしわくちゃになるんです。で、わずか残った枝に花を咲かすんです。この花がね、色気から色香に変わるんです。幹はしわくちゃになってもわずかに残った枝にものすごく綺麗な花をつけ、色香を放つんです。そして、幹に風格が出てくるんです。しわくちゃな幹にドーンとした風格が。そして、もう花から色香を放ちます。普通はそこまで行かずに殆ど朽ち果てる方が多いんです。そういう事にならんように必ず姥桜、これを目指して欲しいんです。

 男性の場合は、姥桜になれるように如何にうまく根肥えをやってもらうかなんです。この根肥えが何かちゅうと、年に一回は着物の一枚は必ず買うというだけの馬力、これはもう馬力なんですよ。その時に買える買えないはこれは経済的にいろいろあると思うんですが、やはり姥桜を育てる為には、男は男なりの努力、根性、それが無いとうまくいきません。折角他人どうしが何かの関係で一緒に生活するんやったら最後の最後まで、どっちが先逝こうとも必ず尻の始末はどっちか残った者がするという気持ちでやってもらいませんと人生うまくいきません。特にこれからの若者に教えてもらう時、自然の摂理と人間の生き方、姥桜を目指して男は根肥えをいつでもやる。かかあや子供には絶対ひもじい思いはささんと、自分はいくら腹減らしててもかかあや子供にはそこそこの物は食わすという根性、もうこれだけはひとつお願いして、アホなことばっかり言いましたけど、勉強は次の時間ですので、今は頭を軽くしてもろたら結構です。この辺で終わらせてもらいます。ありがとうございました。(拍手) 完

続く