基調講演

鈴木 江戸川大学の鈴木です。秋本さんとは20年近くお付き合いさせて頂いております。私は、主に地域経営という視点から、農山村などの小さな地域がどうしたら、暮らしを楽しく生き抜いていけるのかを考え実践しています。今日は、秋本さんから町村合併についてどのような考え方をしたらいいのか、話して欲しいということで、やってまいりました。


■ストーリーを描けない市町村
 今、全国でみなさんが話されるのは、ストーリーが描けない、合併してどうなるのかイメージが湧かないということであります。ですから、堂々と出てきて話す市町村担当者や首長は少ない。それはどうしてかと考えますと、どこと合併するかしないかということの方法論だけになっているからです。本来、住民の人たちが合併してもしなくても、これからの暮らしのあり方をどう描いていくことができるか、ということから発想しなければならないのです。どこと合併したらいいだろうか、合併したほうが得か損か、しない方が得なのかという話だけでは駄目なのです。

 私が、既に合併をすることで走っている村とか、合併をしない方針で走っている村とかを訪ねてみますと、そこでは、合併してこのような町にするとか、合併しなくてもこのような町にするという明確な答えをもって先頭を走って例もあります。今日はそうした例も交えてお話したいと思います。
 合併してもしなくても厳しい時代がくることは間違いありません。合併しても、10年経つと段階的に合併特例債が切れるので、厳しい時代がくることを考えなければなりません。既に合併して特例債を使っている市でも、事業が半分くらいしか進んでいなかったりして、合併したからといって絵に描いたようにはいかないのです。少なくともみなさんが、一人一人の暮らしがどうなっていくのかを考えなければいけない時代なのです。それにも関わらず情報が少なかったり、自分たちでイメージできる材料がなかったりするのです。これまで豊かなサービスを行政が続けられた時代だったのですから、自分で今後を予想し行動するというのは、非常に難しい時代であることは確かです。

 自分でまちのストーリーを描けない。全国のまちづくりや地域づくりも行き場を失っているという現実があります。ストーリーが描けないというのは、これまで自分たちの欲望や自己実現を国の財源で行政がしてくれた。モノも市場にあふれていて安く手に入ってしまう。こうした時代がまだ続くと考えたわけです。このようにすべてが与えられ、住民が自らの欲望やストーリーを考えなくても生きられるようになっていたのが、現在の市町村の状況だったと思います。

 これから私がどのようなことを考えているかということをお話したいと思います。いずれにしても山村にとって厳しい時代を迎える。これまで明治とか昭和の大合併は、人口が増えていく時代の大合併だったのです。これからの合併は、人口が減り、高齢化は進んでいく中での合併という点に違いがあります。合併してもしなくても人口が減って、若者がいなくなって高齢者が増加していく中で、地域をつくっていかなければならないわけですから、これまでの合併とは意味が全く違うのです。


■自分が変わる時代
 住民自治の実現には小さい町のほうがいいわけです。ところが、先ほどいいましたように行政が至れり尽せりでサービスしてきたので、国にお金がなくなって700兆円もの赤字ができたため、合併をして行政効率を高めるということです。それから地方分権の時代で、合併で地域の自治を確立していくといっているのです。こうした視点には問題はありますが、自治を考える時代であることに異論はありません。ですが、自治を確立するということでいっている自治には、住民から見た自治というものと、国が考えている自治というものがあるのです。国が考える自治というのは国がコントロールしやすい地方の自治であり、住民から見た自治は、住民が暮らしやすい、楽しく生きられるという住民自治の姿で、このモデルが少ないのです。

 地方分権一括法が論議されていた時、地方からの意見が非常に少なかった。みなさんが自分の町はこうしたらいいだろうということを考えなくても、ある意味で何も考えなくても生活できた時代ということです。そこで、人間は変われるかということなのです。町はみんなの夢でできているのですから、町が変わるということは住民一人一人が変るということが前提でなければならないわけです。では、人間は変われるかということを考えてみますと、みなさん「人間は変わる」「変えることができる」と思いますか?どうでしょう…?

 変われるのです。例えば、もし、みなさんが病院に行って、医者から「癌です」といわれたとします。いわれた途端に、人が変わってしまうかもしれませんし、生き方を変える人が多いのは事実です。人間は変わるものなのです。ですから、今の市町村合併の時代は、過疎の町は厳しい言い方をすれば、過疎という病気を自分たちでどうするのだ、自分はどのように変わっていくのかということを問われていると思うのです。まず、住民自身が変らなければいけない。現在の状況を否定して、代案を出さねばならないのです。

 話がそれるかもしれませんが、「癌だ」ということを本人に伝えて欲しいかと家族に聞くと80%は伝えないで欲しいといいます。本人はどうかというと、本当のことを言って欲しい人と80%の人が答えたそうです。なぜ家族は本人に伝えて欲しくないか。それは本人が変る心配があり、例えば、自暴自棄になって家の金を持ち出し、遊びに行ってしまうかも知れない。家族は今までの生活が変わることを恐れるのです。変化することを恐れるのです。
 ですから、今日の話しは、変るということ、自分たちの力で地域を支えていく時代が来た。自分が変らなければ、合併してもしなくても、どちらにしても生き抜けないということ。私がいろいろな地域を歩いて感じたことです。


■合併の弊害に挑戦する長野県松代町
 自分の地域が消滅するかも知れないという時に、地域の中で地域の未来を議論ができない、イメージができない。そういう時にどうするか、ひとつの例として新潟県高柳町の人たちと一緒に長野市松代町や栄村、野沢温泉村に行きました。

 松代町は人口22,000人、40年前に長野市と合併しました。なぜ合併したかといいますと、県庁所在地の長野市が松本市より人口が少なかった。そこで県都にふさわしい人口の長野市にしようということで、周辺の篠ノ井や松代町を対等とはいいながら、実質は吸収合併したのです。長野市は人口35万人、松代町は22,000人、合併後は松代町に支所をつくりました。合併前の町役場には100人職員がいたのですが、今はゼロです。支所は閉鎖され、松代町のことを常に考えてくれる職員はゼロ、松代商工会は長野商工会となってなくなり、農協もなくなりました。議員も松代町役場の時代には40人いたのですが、今は4人。唯一残っていたのは松代商工会議所でした。これは全国でもめずらしい例で、長野商工会議所から篠ノ井商工会議所と松代商工会議所は独立していた。商工会議所だけが松代町を常に考えてくれる職員がいた。これが唯一、合併後の救いになったのです。

 昭和41年に合併して、その後、高速道路のインターチェンジができた。そこで自分たちの町をつくろう、お客さんが来るようにお城の近くに公共トイレを作ろうとしたが、トイレひとつを作るのに実に10年かかった。それは、自分たちのまちづくりをするのに、自分たちの町を考えてくれる常勤の職員がいないことが非常に大きい壁となったのです。自分たちには財源がないことに気づいたのです。直接長野市長のところに相談にいかなければならない。トイレ1個つくるのにすら10年かかったという現実があることを覚えておいてください。そういうことから、その後、自分たちの町は自分たちでつくろうという住民の考え方が醸成されたわけです。
 「NPO夢空間・松代の町と心を育てる会」というのを住民の人たちがつくって、自分たちがこういう町をつくっていきたいと、商工会議所に事務所をおき、チラシや会報も発行し、自分たち自らのお金を出してNPOをつくって動き出したのです。人を招くポスターをつくるにしても、情報を流すにしても松代町という文字が入りました。

 今年になって、新しく変わった長野市長が、市役所の職員1人を松代町に置くことになり、支所を復活させたことになったのです。市長は、地域の個性や活力というのは身近に相談できる人がいなければいけない、財源がつかえることができなければいけないと考えたのです。
 住民の人たちが、住民会議といいますか、自分たちがものごとを決める仕組みがなければいけない。合併してもそれを保障すべきだという話しです。トイレ1箇所つくるにもそういうことが起り得る。合併してそういうことが起らないように考えていくべきだということです。住民のことを常に考えてくれる、暮らしが困らないように専従の職員をどうやって置くかを合併したら、考えていかなければならないのです。

 合併しなくても、住民の暮しやすさや自分たちの夢を描いて実現するための組織を作っていかなければならないという教訓をそこから学ぶことです。松代町では、古い町並みの修復と旧町名、旧字名の復活もやっております。近くに小布施町がありますが、小布施町は、今日本のまちづくりで東の小布施、西の湯布院といわれているほど日本の街づくりのトップを走っている町です。人口1万2千です。その隣の松代町は小布施より人口も多く歴史も古い、前は財源もあり、そして個性的であったそうです。合併しなければもっといい町ができたであろうといわれています。

 そこで、今、小布施に負けないまちづくりをしようと、合併しても自分たちの町をつくって、生き抜こうと住民が取り組み始めています。自分たちでNPO組織を充実させたい、もっと市役所の職員も支所に増やしていきたいと、新しい町のあり方を模索しているのです。合併しなければ本当に小布施町以上になっていたかはわからないのですが、これからの時代は住民の力を借りないと、住民の助けを借りないと町がもたないのです。

 また、住民の活動がマスコミというメディアを通して、自分たちの考えを訴え、一人一人がまちのあり方、新しいプランも描いております。そして、自らも金もだしていく、すると行政も関心を持たざるを得ないのです。中心市街地や店舗はだめになっているのを、自分たちで商店主を動かし、国土交通省・国まで動かして、NPOをつくってメディアを活用して行政を動かした例でした。

 合併してもしなくても自分たちの歴史や文化も復興していこう、地名も元に戻そうと住民サイドで取組むこともできます。行政のいうことをなんでも聞けばよいという時代は終わり、行政が当てにならないことをバネにして動きはじめているのです。この松代町は、合併で閉じた住民自治のエネルギーの復活を香山篤美さん、洋服屋さんのご主人ですが、「合併でまちのことを話し合う場所を失ったから駄目になった」といい、住民自治を構築して行く。行政的にも独立するということではなく、長野市全体をつかって自分たちのまちおこし事業を起こしていこうとしているのです。

 合併がマイナスばかりではなく、先ほどの長野インターチェンジを誘致することができ、町が便利になったこともあるのです。ですから、インターチェンジを誘致すると財源的には2分の1を保証しなければいけないわけです。長野インターということで長野市の金を使ってインターチェンジができた。自分たちの町をつくっていくための地域組織の作り方、そして、メディアを使って広く知らせていく、長野市の財源で自分たちの町をつくっていくようなことも可能なのです。

 合併後の発言権は、長野市の支所から見れば、26ありますから26分の1、議員数から見れば、10分の1です。発言権以上の仕事をしようと、今、長野市で一番脚光を浴びているのが松代町です。これから話題になると思います。長野市を利用しようという合併の仕方もある。また反対に合併によって自治のエネルギーが消えることもあるということです。
 ですから、皆さんが自分たちはどういう町を作っていくのだと、そのための自分たちの組織を作り、自分たちの夢を役場の人と一緒に見ていくことが大切です。今やるべきことは、みんなでストーリーを描いて、小さな物語を描いていくということが次の時代をつくっていくことができる、ひとつの例でした。


■市町村合併の行方
 具体的な例を更にお話ししたいと思います。みなさんは合併のことはわかっていると思いますので詳しくは申しません。3217の自治体の内1298が協議会を設けたと昨日の朝日新聞に出ていました。総務省は何を考えているかということをお話しします。私は先般、「人口一万人以下の市町村については自治をもたせないと新聞に書いてあったが、それは本気でやろうとしているのか」と、総務省の担当課長補佐に聞いてみました。「今はアドバルーンを上げている段階で決定したことではない。そういう方法でやっていかないと3217ある市町村を1000にできない。今の状況では2000を割れないだろう」といっていました。

 それから、「平成17年3月まで合併しない場合はどうなるのですか。それ以後の合併だってありうるでしょう」と聞いてみたのですが、「特例債などのメリットはなく、強制的な方で合併をさせていきたい」という話をしていました。それは決ったことですかと聞いたら、そう思っているだけということです。そういわないと合併が進まないということなのです。

 今後、合併がうまくいけばマスコミなどメディアはそうした方向に動くし、政治家もそれをみて同じ方向に動く。合併で悲惨な町村がでれば、メディアによって、合併反対の声が大きくなってくる。先月、秋本さんに情報を送った時に、これから市町村合併は雪崩現象を起こすでしょうといったら、昨日の新聞にも雪崩現象を起こしていると出ていました。流れとすれば、これからも雪崩現象がおこってくる可能性が多い。合併の特例債というものが全部合わせて20兆円くらい予定されているのです。年々減っていく地方交付税交付金が減って厳しくなるので、20兆円をもらえるところになろうということです。

 それでは合併しないということで走っている町村はどういうところがあるかといいますと、例えば人口2000人の山梨県早川町があります。その町の面積は山梨県土の8%、国道はなく、県道も袋小路で通り抜けできない地形です。隣の町と合併しても殆ど意味がない。日本列島全体の中で見ると、西日本に比べて東日本は合併が少ない。県によっては合併協議会が1つあるいは2つ、岩手にあってはゼロです。青森の下北半島などは、すべて合併しても10万人規模にはならない。そうしたところは、合併しても物理的に難しい、文化的にも難しい。合併できない山や島もありうるわけですね。総務省は、そうしたところもあるということを知っている。必ずしも無理やり言っているのではない。合併した小さい自治体も個性を大切にし、地域を担って欲しいと総務省ではいっていました。

 それから合併できない自治体もあるから、そのことについては考えていかなければならない、だれが考えても合併がむずかしいというところは存在するともいっていました。ですから、みなさんの地域がそのことに該当するかどうか、合併しても人口が減っても高齢化が進展してもやっていけるかどうか考えて、選択すればそれはそれで一つの方向だと思います。


■野沢温泉村「野沢組」
 長野県野沢温泉村の話をしたいと思います。野沢温泉村野沢温泉地区には、財団法人「野沢組」という組織がある。そこは日本で一番、一世帯あたりの貯蓄が高いという地域で、他の地域で耳にするのは「野沢温泉村のようになりたい」という話がでてきます。かつてこの村でも市町村合併をしましたが、野沢組のある地域だけは跡取りがどこも帰ってきて、豊かに暮らしているのです。野沢組は住民の自治組織で、戸数は700戸、道路に穴が空いたり側溝が壊れたりした時に、行政よりいち早く野沢組が出ていって直します。この地区は過疎にならないのです。

 野沢組の組織は、惣代1名、副惣代が2名、事務局に常勤が1名です。惣代、副惣代は常勤で、名誉職ということで給料は少ないのです。役職は選挙で選ばれます。アメリカの大統領選挙のように予備選もあります。地域の人たちは、役場に相談に行く前に惣代のところにまず行きます。議会や役場と野沢組の関係をみると、野沢組総代がそういうならそっちに従おうと、役場が無視できない存在です。

 自分たちで自治を保ち、森林整備や伝統のお祭り、温泉の泉源も自分たちで守っています。小さな公共事業など、地元負担があると野沢組が代わりに負担したりします。野沢組の予算は概ね年間9千万円ほどです。そのうち2千万円を700戸が区費として負担しています。下水道の敷設、雪対策として融雪の地下埋設も自分たちでしています。温泉源も自分たちが持ち、それも財源のひとつで、またそれによって外部資本を入れないというようにしていますから、自分たちの利益率が高い、従って地域の経済は豊かです。

 野沢組と役場の関係で、なぜ住民組織「野沢組」のほうが強いかといいますと、昔からの古文書や文化財の保全も、全て野沢組が管理しているのです。惣代の引継ぎは古文書の引継ぎから始まります。ですから、地域で起こったことは野沢組のほうが役場よりもよく知っています。古文書を読み勉強していますから歴史的なことも詳しい。過去のいきさつに詳しいですから、用地買収する時でも野沢組が間に入いると交渉がスムーズにいくのです。ですから、惣代さんのいうことならとみなさん聞くわけです。発言力が強い背景は、行政では見えない一人一人の暮らしを空気のように見守って補っているからなのです。行政では諮りしえない情報量を持っている。そうした助け合う仕組みを野沢組は長い歴史の中で築いてきています。

 「野沢組」には集落内に150人の協議委員がいます。700戸のうち90人が地区の区長さん、そうした人たち150人が集って協議をする、話し合いの場がある。野沢温泉地区では、同学年の同窓会をつくっており、都市へ出た若者も厄年、数えで23歳になると戻ってくるか来ないか結論を出さねばならない。同級生がそこで戻ってこないと、その仲間に入れない。横の連絡網をもっていて、また縦3歳の間にははっきりと上下関係があります。会社の上下関係が逆転することがある。先輩後輩、同級生を中心として、皆で助け合っていこうというわけです。

 それから、若い人で優秀な人がでてくると惣代の秘書として、地域全体の情報を与えて、次の惣代に育てています。惣代は60歳代、副惣代は40歳代あるいは50歳代です。お祭りなどは若い人たちが担います。男の厄年の23歳、もう一つの厄年の42歳で、町の伝統を担う形をとっている。そこで先輩後輩の関係や町の伝統的なルール、祭りなどを若い人たちに伝えていくのです。細かい約束事があり、高齢者は尊重されます。

 惣代は常勤で多忙で、年間に休みはほとんどないそうです。惣代は行政の長になることもありますが、行政とは一線を画しています。それは、惣代は住民の暮らしを良く知っている必要があります。あの家は経営的に苦しい、病人がいるからなどプライバシーにかかわることまで、野沢組は知っています。それは区費の算出の基礎となり、惣代を出したりして助け合っていく仕組みだから知っている必要があります。そうしたプライバシーに行政がかかわることはよくないというのです。

 実際に助け合っていくということは、家庭の事情もきめ細かく知っていないと真に助け合うことができないのです。野沢組は行政ではありませんのでいろんな情報が入ってきて、惣代を中心にして、空気のように見守るということをしているわけです。だから野沢温泉村には村長が二人いるといわれています。

 ただ惣代は常勤で大変ですから、なり手がいないということで、同級生が惣代候補の家を訪ね、家族を説得するのです。惣代を皆で支えあっていくということで名誉職としたのです。これから、どこと合併しょうがこのような住民自治組織があれば、その地域は守っていくことができると思います。


■合併しようとする新潟県高柳町の戦略
 私は20年ほど野沢組の河野正人さんとお付き合いがあり、野沢組のことを調べていましたので先週、新潟県高柳町の町長さんや区長さんを連れて、河野さんが経営する「村のホテル住吉屋」に泊まり、どのようにしたら「野沢組」のような住民自治の組織をつくれるだろうかと研修に行ってきました。

 高柳町は今年の8月に合併の方向が決まってから、「一番いい合併モデル」になるからと、住民と一緒になって勉強する予算が欲しいと総務省に行きました。合併するということで、戦略的に住民の人たちの力を借りていこうと思うなら、住民の人たちが勉強できるような機会をモデル的につくっていくという戦略には感心しました。

 「野沢組」のような住民自治組織を高柳町がつくっていけないかと考えているのです。行政とは別に、地区毎に「野沢組」のような組織を作っていくと、合併しても、自分たちが選出した代表がいて、それを行政に伝えていく。予算もあり、自分たちで助け合っていく仕組みが欲しい。どこにでもある区長のもちまわりではなく、選挙で選ばれた皆の代表であるということが大事なのです。合併しても、自分たちの首長を選挙で選出して、地域の意見を無視できないような形にして、財源も持ってこよう。それで道路や田畑、側溝を直したりしよう。高柳は新潟県で雪が多いので家の周りの除雪、その他介護や弁当の宅配など福祉の面でも助け合っていけるような仕組みを作れないかということを考えています。

 高柳町は、4市町村で任意の合併協議会を作って進めています。高柳町では、先ほどお話しましたように、野沢組のような組織NPOを作っていきたい、住民が支えてくれるような仕組みを作っていきたいと考えています。また、地域経済をよくしていきたいと考え、現在、観光客28万人、消費額はおおむね10億円を詳細に調べ、地域に残るのは1億円くらいと分析したのです。地域経済をよくするためには、自家製品を増やし、地域の人が作ったモノの売り場を魅力的なものにして、地域内循環経済を考えていこうとしています。

 地域と都市との交流の場をどんどん作っていこう、と「じょんのび」のまちづくりをしています。早川町の「日本上流文化圏研究所」の向こうをはって、「じょんのび研究センター」も作りました。「じょんのび」とは、温泉などに浸かって「ああ、ゆったりのんびり、芯から心地いいなあ」という意味の土地の言葉です。都市とは違った価値観が山村には息づいています。今年で13年くらいたちました。じょんのびな暮らしをもっと進めていく為に、「じょんのび研究センター」が各地区を応援する組織にする予定です。その長には、公選で選んだ町長のような人を当て、地区ごとにNPOのような組織をつくって、住民自治を支援していく仕組みを考えています。自分たちで選んだ人を立てて、行政が無視できないような組織にして、合併後に備えようとしています。

 合併の中心は柏崎市です。人口9万人で、それに3つの町村が加わり、約10万人になります。10万人に対して高柳は2,500人、2.5%ですから議員も1人出せるかどうかです。農協は既に合併して柏崎農協となっています。商工会も合併の話がでています。指導員は合併したら、どうやって高柳町は行き抜こうかということを具体的に考えています。住民集会にも出席しましたが、ほとんど各世帯から出席して、700人が集り、町長や行政と真剣に議論しているのです。地区別の集会もその前に行い、細かい議論がありました。

 私は、さまざまな戦略の議論をしている場に参画してくれということで行きましたが、住民と行政が一緒に夢見て、真剣に議論しているのです。そこでは、町がやってきた「じょんのび」から住民自身の「じょんのび」へ、自分自身がじょんのびになるにはどうしたらいいんだろうということを話し合っています。「じょんのびなものづくり」「じょんのびな風景」「じょんのびな暮らし」から考えようということで、住民が部会をつくり、視察にいき議論をし、ビジョン作りを進めています。「ものづくり部会」では、倒産した工場を使って、内装を地域の古材や土壁で魅力的な店作りも考えています。自家商品は、ワラで卵をラッピングしたもの、ワラの円座、それをワラのポスターにして、東京をワラのポスターで一杯にして応援していこう。じいちゃんのつくった「じじの米」、ばあちゃんのワラで包んだ卵などの商品開発、地域の空気や雰囲気を造り替えていこうとしています。

 風景部会では、都会の人に町の中を歩いてもらおうと、地域の和紙を使って地図(マップコンクールグランプリを受賞)を基に自ら町を歩きます。ルートにある壊れかかった蔵を活かして、一膳飯屋を自分たちで造っていこう。古材は町の宝物と考えています。年金暮らしの高齢者に、あと5万円でも10万円でも足しになるようにしよう。そして若い人はそこで自分が生きていけるよう自立した仕事を作って、がんばってもらおう。生活文化部会は、ひとり暮らしの人への弁当の宅配をコミュニティ・ビジネスとして立ち上げていこうと、熊本県人吉市のひまわり亭や鹿児島県牧園町のわいわいアトエリエまで視察に行きました。地域の福祉は、東京などから福祉施設を誘致して、若い人の働く場所と地域の福祉を考えていこうとしています。

 柏崎市との合併については、合併計画書を平成17年3月まで作らなければなりませんが、それについては、コンサルタントを各市町村が推薦してコンペをしました。そのコンサルタントは、これまでのネットワークを活用した高柳町が推薦したコンサルタントに決ったと、昨夜電話がありました。
 住民の人たちは、今いろいろなところを見てまわっています。住民がイメージできる町を、自分たちの手でつくっていかなければいけないということで動いているのです。私も一緒について行って学んでいます。視察も熱心で、町長さんも町民も真剣です。このように、合併するなら戦略的にやっていかないと生き抜いていけない、ひとつの例としてお話しました。


■合併しない長野県栄村の戦略
 次は合併しない戦略的な村の話をしたいと思います。人口2,600人の長野県栄村です。この村では、住民による安上がりの公共事業「道直し事業」や「田直し事業」に取り組んでいます。いわゆる公共事業を住民の人が安く請けてする仕組みを作っています。「道直し事業」「田直し事業」で農家の負担はほとんどかかりません。大きな重機は行政が持って、経験のある住民がオペレータつきで事業を請け負うのです。建設業とのバランスは必要ですが、住民の負担がかかる事業はコストを安くして、むらづくりを行うこともこれからは重要だと思います。

 もうひとつ、「げたばきヘルパー」の制度があります。これは隣同士でお互いに面倒を見る制度です。人口2600人の内114人が、げたばきヘルパーとして登録されています。ひとり暮しの人の食事をつくって宅配するなど、住民パワーでみんなが安心して暮せるような仕組みです。介護や給食、ショートスティなどを隣の奥さんお姉さんという形で進めています。高齢化率が40%を超えて、50%に近づこうとしていますので、お互いの負担を少なくして、しかも痒いところに手が届くような仕組みです。

 具体的には、食事の場合おかずは200円でつくります。地区の集落までは専門のヘルパーさんが持っていくと、後はげたばきヘルパーが家まで運びます。その費用は100円です。げたばきヘルパーさんの年齢は20歳代が6%、40歳代が26%、50才代で33%、60才代が2%です。女の人が大部分で、男の人は2人、独身者は2人、最高年齢は68歳、元気な高齢者は自分たちで支え合う仕組みです。

 この村では現代新庁舎を建てて着々と準備しています。このように、合併しないで行こうと戦略的に進めています。長野県の田中知事は合併を反対しているので、先ほどの野沢温泉村へ出かけたときに、「合併すれば野沢温泉村に協力しないよ」とまでいって、地元が困ったそうです。県によっては知事が合併に反対していたりして、総務省に行きますと、県知事がどっち側につくかということによって、状況は大きく変わると話していました。

 栄村では、来年2月に合併しない町村を集めて「小さくて輝く自治体フォーラム」の開催をします。群馬県上野村や北海道ニセコ町、福島県矢祭町など、連携をとりながら社会の共感を得ようとがんばっています。ただ、栄村も合併については隣に新潟県の津南町との合併は考えているところもあります。村は県境にあり、長野県につくよりは新潟県についた方がいいと、それも考慮しながらしています。合併しない町村の連携など柔軟なことも考えています。


■合併しない山梨県早川町の戦略
 山梨県早川町、ここも合併をしないでいこうとがんばっています。先ほど話しましたように、人口は2000人を割っています。県土の8%と広大な面積ですが、97%は山林、2,000から3,000メートル級の南アルプスの険しい山に囲まれています。昭和30年代に6箇村が合併したのですが、いまだに交通が不便で旧6箇村の交流は少ないのです。合併の弊害がやっと解決してきたということで、今回は合併しないと決めたのです。隣の中富町と合併しても直接道路ではつながらない袋小路の町であり、合併しても意味がないということです。

 もうひとつの理由は、独自のまちづくりを進めているので続けていきたい。合併しないということを宣言したら副大臣から呼ばれたそうです。宣言をした今年6月以降、全国から約70町村が視察に訪れました。できるなら合併したくない町村が数多くあるということで、大いに勇気づけられているようです。

 早川町の住民アンケートによれば、70%以上の人たちが合併したくないという結果も出ました。まちづくりの柱を日本上流文化圏構想に据えて、上流域として誇りを持ったまちづくりを推進してきたことを住民が評価したのです。かつて秋本さんとは、この町と一緒になって第1回日本上流文化圏会議をしたこともあります。町には日本上流文化圏研究所が設置され、常勤職員は元地元の小学校校長先生と大学院卒業した若い2人、役場からの出向者1人、そして大学生がいつも5〜6人は来ていて、住民の「2000人のホームページ」を作っています。

上流域としての山村の誇りある暮らし、哲学を持って自信を持って生きていこう。上流域の人間の生き方こそが、都会の人たちの範となるものであると、東京都品川区の人たちとふるさととして互いに交流をしています。上流圏の生き方を都会に近づけ、都会に卑下するものではなくて、若い人が中心になり、山に暮らすことから新しい人間の生き方を研究しています。都会は便利でモノは全部揃っているかも知れないけれども、山で暮す人は何をするにも自分で作れる便利さがあるのです。オールマイティの暮らし方です。

 今、早川町では「あなたのやる気応援事業」を行っています。「虫の目事業」「鳥の目事業」があり、虫の目は12地区に総額100万円、鳥の目はもう少し大きい事業で6グループに300万円、住民の自発力を応援するために、お金の応援もする仕組みです。例えば、ソバ粉100%の手打ちソバ出張実演ということで、ソバ打ち名人になりたい、おばあちゃんたち共同店舗を作る、柿渋を作ってそれでうちわを作る、地域の物語の本を作る、歌を作るなど、やる気のある人にお金を出して、応援していこうと。蕗の栽培をしたり、大豆を栽培して手作り豆腐を作ったり、ワインをつくったり、石材店が挽き臼を造ろうとする時に100万円を出しています。お金は、試作したり、資材を買ったり、講師を呼んだなど、やる気を応援しています。その使途については明細書なども全て町民に公表しています。

 現在、日本も世界もモノは過剰、お金も過剰、時間や人も過剰、デフレとリストラの時代です。そして、過剰は倦怠となり、自分がするべきこと、生きがいがなくなっています。失われた10年といわれていますが、自らやる気を失っているのです。自発の精神が求められ、やる気から日本は立て直していかなければならないのではないか。今の時代は余った人間、余った時間をどうするか。これからは、やる気が地域を活性化させる。やる気を応援していくということが各地で起きてくると思います。

 早川町では、新しい総合計画で、町民が採点する「まちづくり成績表」をつくっています。今しているまちづくりの成績表を出して、駄目なところは直していこう、いいところは伸ばしていこうとしています。合併論議にしても、「7つの満足、7つの不満足」というものを出しています。合併、非合併の理由も具体的にキチンとしていかねば駄目です。これからは地域を批判する、自分のしていることを批判する時代が来たのです。その上で、まちの将来をどうしていくか、真剣に考えていくことです。自分の町の駄目なところは駄目だということを行政も率直に認めて、直していこう。やる気のある人を伸ばしていこう。行政が個人に金を出しても、皆が公平な場で見ている場で公表して、お金が有効に使われるということが大切です。


■まとめ
 これから、まとめの話をしていきたいと思います。合併をどのように捉えていくかというと、先ほどお話しましたように、時代認識をしっかり捉えて、自分の地域の状況を知って、合併するかしないかをその中で考えることが必要ということです。

 それは、自分たちの暮らしを中心に考えながら意見をいえる場があることが必要です。自分たちの生活から地域に根付いた地域経営システムをつくっていく。自分たち自身が、地域を支えていくことを、本当にやらなければならない時が来たのです。先ほどいいましたように、自分たちが変らなければいけないのです。

 時代認識というものをもう少し具体的に言い替えますと、住民が主体となって地域経営システムというものをつくらなければいけない。今まで行政がお金を掛けて、きめ細かいところまでやってきたことを、自分たちがやっていくということです。行政は地域への支援含めて、住民自治活動の保障を条例等で定めていく。約束事にしないと、先ほどいいましたように、100人の役場職員がゼロになってしまうということもありうるわけです。

 それからコスト意識をもって、自分たちの新しい公共の組織をつくっていくということです。個人個人では弱い、公共の組織をつくっていかなければ生活が守れないのです。契約のできる独立した組織にしていかないと駄目です。道路を直すにも何をするにもお金がいるわけですから、それは行政との契約行為なのです。リスクもあるかも知れないけれど、これからは地域住民の主権の時代を築くことです。

 住民自治の地域経営というのは、自分たちの歴史や伝統、生活文化とか自らの暮らしを伝承していくことを保障することです。例えば、山梨県須玉町のように、文化財を自分たちのものにして大切に活かしていくためにNPOを作りました。文化財や遺跡の発掘も住民が行い、住民がNPOを作っているところへ私も入っていますが、公共がつくったものでも文化財でも自分たちが管理できるわけです。NPOでは、緊急雇用対策事業も行え、3千7百万の事業費で30人の雇用ができたのです。

 野沢組では、自分たちの古文書や文化財は住民が管理運営しています。合併して文化財や歴史を行政に渡すのではなく、住民自身が地域で管理運営できる仕組みを作っていかないと、他所の人は地域の文化財を大切にしてくれません。自分たち自身で歴史を担っていくことをしなければならない時代なのです。だから住民の自治組織が必要ということなのです。

 それから、生活基盤の財源を保障していくということです。住民自治組織の育成と相互扶助による生活基盤整備と運営の財源を保障することです。さらに、住民の生産・経済活動を活性化するための基盤整備と活動助成を保障する。これは、例えば60歳代の人が事業を始めようとする場合においてでも、例え10万円でも20万円でも応援してあげる。その使った金の内容はオープンにして、やる気を保障するということです。

 また、新しい役所になっても、行政の地域振興部局を設置し、助役に準じた職員の配置を地域での公選という形で、皆が選んだ代表として、勝手に動かせないようにしていくことです。自分たちのリーダーは、合併しても自分たちで選ぶという仕組みは、現在の法律でもできますので、地区の代表を新しい行政が無視できないようにすることは大事なことです。基本は住民自治をお互いに尊重し合うことです。

 新たに地域計画を作るときは、住民が話し合う場を保障し、行政だけに任せずに住民会議などの形で、皆が議論できる場を作っていくことが必要です。先ほどの高柳町では、皆が出て来られるような時間に町民全体会議をして、バスで出て来られるようにしていました。毎年、住民フォーラムという町民全員が集まる機会を作ってきたことが生きています。

 さらに、合併しても地域別の選挙区で、一定割合の議員が選出されるように、必ず1人は出せるような仕組みを保障することも大切です。議員がいないと行政に意見を伝えることができません。従って財源が確保できないのです。

 それから、県の事業であるとか国の事業であるとかそういうものは、事務や事業の移譲をして、自分たちの事業を増やしていくことも必要だと思います。早川町では、昨日の新聞にも出ましたが、天然資源に課税するということです。発電所がありますので水についても、砂利とか砕石についても課税する方針です。天然資源は地域から持ち出すには、課税対象にしていこうということも財源を増やしていく知恵です。常に、今までの考え方を変えていくということが必要です。自治体の財政基盤、自分たちの暮らしを支えるためにあらゆることを行政とともに考えていくということが必要です。

 もうひとつ大事なことは、大都市の人に農山村のことを知ってもらう、共感してもらわないと駄目なのです。農山村の必要性をキチンと訴えていかなければ、大都市に生きている人にはひとつもわかっていないと思って、訴えていかなければなりません。

熊本県の山江村では、住民ディレクターの制度をつくって、自分たちが作ったビデオを民放の番組で放映しています。それは林業者や農業者が自分たちの意見を自分たちで述べなかったから、今自分たちが食えなくなってしまったといっています。都会の人も実は村人も、すべては公共メディアから情報を得ているのです。これからはメディアをどのように自分たちが作り使っていくかということは大事なことです。

 早川町日本上流文化圏の委員会を、昨夜、東京でしたのですが、自分たちの暮らしというものをできるだけ都会の人に知ってもらうような努力をしていかないと、都会の人は知ることができません。東京圏で生まれる人は4人に1人、その後上京してきて、若い人の3人に1人は東京圏にいます。1都3県です。だから非常に日本が偏った状況なのです。ここでいくら騒いでも、東京圏などの大都市圏には聞こえないのです。それをどうやって伝えていくかということを、真剣に考えなければならない時代が来たのです。インターネットなどもあり、秋本さんも前からやっているのですが、できるだけメディアに自分たちの生活や意見を出して、伝えていかないと、今の財源の確保とか都市の人の共感が得られない。これから、自分たちはこういう暮らしをしていきたい、こういうことをしていきたいので参加しないかなど、キチンと訴えていかなければいけない。魅力的な情報にデザインして、訴えて地域の歴史や伝統を日本に残していかなければいけないのです。

 それから、地域を担う多様な組織を、行政だけではなくて作って欲しいということです。地域のことを常に考える組織をいろいろに形で作っていくことです。産業だけでなく、福祉、教育、文化財でも、いままで公共がやっていたことでも、自分たちのもの自分たちが経営してこそ、雇用も産み出すことができるのです。

 来年4月に、静岡市と清水市が合併するのでが、10年間で使う予算は5千4百億円です。最近合併した篠山市もそうですが、小さな町村でも10年間で200億とか100億の金が動くのです。これからハードなものもがどんどんできるので、また建築ラッシュでバブルが来ると思います。先ほどの20兆円のほとんどがハードなものに使われると思います。それがいいかどうかはみなさんがよくよく考えなければいけないのです。ハードなものに使えば、施設の維持管理が負担になります。そして合併の時の特例債ですが、昭和の大合併の時もお金がなくなって、途中で終わったのです。

 この町でも合併すると秋本さんの試算でもわかるように、特例債が10年間で、100億円、200億円になります。そうしたお金をどのように使うかということを考えるならば、後で住民の負担になるものではなくて、本当に住民の活動に必要なものに、どのように使っていくかということを考えなければいけない。高柳町では、それを基金にして地元の活動費に、毎年100万円でも200万円でも、地域が自主的に活動できる金のある仕組みをつくっていく予定です。バブルに目がくらむのではなくて地に足がついたことを考えていくということです。本当に公平であるとはどういうことなのか、ただ人口数だけではなくて、その地域の面積や文化、歴史、環境、住民活動にも価値はあるのです。

 合併するなら地域の個性はさらに伸ばしていく戦略がいります。高柳町では、小学校は鉄筋コンクリート3階建てですが、来年度、1億円程度で、山の中の学校にしていこう、役場も山の役場にしようということで、古材を使ったりして直していく予定です。1人暮しの老人の人の家を、小学校の近くに作って、建物の周りに川とか池を復活させて、環境について自然に勉強ができる場を作っていこう。それが老人の生きがいとなり子供とつながっていき、風景をつくっていく戦略でもあるわけです。ですから、何でも自分たちがこうしたいというストーリーを描いて、皆で議論していく時代が来たということをやっている町があるのです。

 みなさんも、こうした機会に、集められるのでなく自分たちが勝手に集り、議論する権利を行使するということです。高柳町では、住民自身が集りたい時に集まって、多い月には10回ぐらい集る時もあります。行政はその時に記録をとる。自分たちが集る仕組みや組織を作って、住民自治を高めていくことです。

 私がお手伝いするのは、住民一人一人が本当に夢を描いていこうとする時です。住民に夢がなければ、地域に未来はないわけです。自分の考えがない人には私は何もいうことはありません。その人に考えがある時には、お手伝いすることができると思います。いろいろな市町村を歩いていますから、こういう例がある、こんなことをやっていると参考になることもいえます。相手の気がつかないことを話すこともできます。

 そして、補助金は前例があるものしかつきません。前例がないことをやる時には、自分が国へ行って補助金を作るくらいのことを、高柳町ではしています。今の補助金を探すのではなくて、自分がこういうことをやりたいと、前例がないことでもやれる時代がきたのです。構造改革特区などの話もありますが、型にはまった考え方ではなく、自分たちが目指す町の姿をイメージできることです。

 最後の話のキーワードですが、それは「正しさ」で20世紀は、戦争をしましたが、これからの時代は、「楽しい」とか「面白い」が求められるのです。あの町は面白い、あの人がいるから楽しい、あの店があるから明るくなる、小布施町ではそうしたことをいっています。

 コミュニケーションが楽しくできること、若い人もそうですが、面白いからやる、楽しいからやるというようなことで地域は動いていきます。こうした会議も楽しく面白くしてもらいたいし、そうした町になってもらいたい。会議を面白く楽しくやれるように、ぜひ考えてもらいたいと思います。ちょっと長くなりしたが、お役に立ったかどうか分りませんが、これで私の話は終わります。(拍手)



黒木 鈴木先生どうもありがとうございました。町村合併については、合併したらどうなるだろうという不安を皆んな持っているわけでありますが、先生のお話では、これからどうなるかというよりも、むしろ自分たちでどういう社会にするか、自治のあり方や仕組みづくりを考えていきましょうというようなお話ではなかったかと思います。そして、いろんな先進地域の合併に対するお取り組みもご紹介いただきました。皆さん方にもいろいろとご質問したいことがあると思いますので、これから質問をお受けしたいと存じます。堅苦しくなくて、ざっくばらんにこのひとときを過ごして頂きたいと思いますのでよろしくお願いします。

橋本 合併はアメとムチだといわれております。先般も新聞に松形知事の談話が載っておりましたが「兵糧攻めですね」とおっしゃっていました。まるで戦時中の召集令状のような気がします。先生はどのようにお考えでしょうか。

鈴木 感情的な問題では、私もどちらかというと都市派ではないので、そういうやり方には納得できない部分はありますよ。ただ、そういうやり方に対してマスコミなどがあまり反応しないということにちょっとびっくりしていることはあります。ある意味では法律違反でもあるのですよ、今のやっていることは。ま、しかし、マスコミもそんなに議論されないというところに今の時代背景があると思いますねえ。

 それはどういうことかといいますと、都市の人たちは自分の生活がリストラとかで厳しくなってきたので自分が育った農山村とか故郷について思いをはせる余裕もないのかなあという素朴な疑問があるんですね。大都市の人は自分には関係ないと思っている人が多いと思うのですね。
 昔であれば、自分が育った故郷にお金が行くことはいいことだと思って関心をもっていたのですね。冷静な話としては都市部の人たちがそういう思いや想像がつかないような状況にあると思うのです

 先ほどいいましたように、正しいか正しくないかと言えば、それはおかしいことだと。今、自主合併だといっているけれども強制的なことをやっていることは事実なんです。けれども世論はそんなに怒っていない。時々合併しないという首長さんが新聞やテレビで反論する程度なんですね。いうなれば、北朝鮮の拉致問題くらいの世論の盛りあがりがあってもいいような大きな問題ではあるけれど、それは、お金がないから、日本の経済が厳しくて悪いからそう言えないような空気がある。時代背景がそういうものにあるのだと思います。

 私が考えるのは、住民や国民の人たちが共感をもって「そうだそうだ」という声がでて来なければ、それは、そういう原因を考えて、その上で生きていくことをしなければだめじゃないかと思うのですね。そういうふうに私は考えたいと思っています。
 合併で駄目になったところや苦しみが出て来た所が見えてきた時、初めて解ってもらえると思うのです。目に見えてこなければ、何かが起ってこなければ誰も共感してくれない。それが今の世の中ではないかと思うのです。回答になったかどうかわかりませんが、感情論を言っていても前に進まないのでこのような回答をさしていただきました。

坂本 先生のお話にありましたように、確かに地域づくりにおいて、住民の盛りあがりがあればうまくいくことが多いと思います。それもやはり、このような山間地の小さな集りでは限度があるわけで、地域でできることと、地域ではできないことがあるわけです。小さな事業は小さな地域でもできますが大きな事業は大きな力に頼らなければできない。

 私どもが頼りにするところはやはり力なんです。こういう山間地では力に頼らないとこれから先どうなるか。力がないと若い人たちにもここに残りなさいとはなかなか言えない。これから先、私共が一番心配しておりますことは、自分たちで何ができるかという心配があります。やりたいことがあっても上からの重圧があったり、目に見えないものがでてきます。そんな時はやはり、政治の力が必要となります。そうした政治の指導者も山間地の小さなところでは、なかなか育たないということで、そういうことを考えた時に、町村合併の難しさがあると思います。

 先生のお話のように、そういう力のある地域は、その後もずっとその力が続いていきますが、新しく芽生えたような地域づくりの事例をご紹介くださればと思います。

鈴木 実は、役場の職員のやる気というのは凄く大きい力になると思うのです。先ほど話しました高柳では総務課長の春日さんという人が、10年前に町長選挙で動いて僅差で負けて左遷されていた時に私はその人にお合いしたのです。その後、その人物が非常にすぐれているということで左遷されながらもずっと応援していたのですが、総務課長にまでなっていったわけです。

 選挙の時は反じょんのびの町長が勝ったわけですが、その後の町づくりがしだいにじょんのびの町づくりに変わってきたんです。たった1人の人間がやっていたことが、その後、若い人たちと一緒になり、町長も一緒になってやるように変わっていきました。一人の役場の職員でも頑張ればそこまでできるということです。小布施の場合は住民の人が一生懸命やっていてそういうところから変わっていくわけですから、いつの時点から変わった、芽生えた、という新しさはなかなかないですね。

 山梨県の勝沼町では町長がこの春変わりました。これまで12年間魔の町政だったといわれていたので期待された新しい町政が始まったといえるわけですね。だからと言ってそんなにスムーズにいくわけではありません。いい町長になったということで住民が賛同して町長になったわけですから、いい合併をしようということで、ある地域と合併の話を進めた。そして住民投票したら否決されたのです。このため合併したくても合併してくれるところがなくなった。そこでリコールというところまでなってしまった。

 町長が、自分が先導して誘導しようとしたことが失敗だったのですね。そういうことで、ある意味では、合併は首長や行政が試されているといえます。本当に住民の人たちがやる気を持てば、行政に働きかけていけば変えることができるということですね。

 住民の人たちを動かさないと行政も動けないということを行政はもっと知るべきだと思います。また、住民の人たちも上手に行政を使い一緒に夢をみるということから実はスタートになるということで、不信感をもっていたらいつまでもスタートできないのじゃないかなと思います。自分に自信がなくても、こうして聞くことによって、また、勉強に出かけることによって、それは事実として残ります。そういうふうにして経験していくことからスタートしたらどうかなと思います。

黒木 どうもありがとうございました。それではこの続きは、また、パネルディスカッションでも深めていただくとしまして、パネリストの先生方お席の方へよろしくお願いします。これから先の進行は、コーディネーターの秋本会長にバトンを渡したいと思いますのでよろしくお願いします。