やまめに学ぶブナ帯文化
「ヤマメに学ぶブナ帯文化」


4.苦汁の中からブナ帯文化


 1990年8月12日、床屋さんへ出かけた。椅子の上で、蒸しタオルを顔にうたた寝をしていると突然「お電話です」という声に目を覚ました。受話器を耳に当てると「養魚場が濁りで大変です」とうわずった声が聞こえる。その声にただならぬ気配を感じて、早々に散髪を片づけてもらい養魚場へ車を飛ばした。
 
養魚場に近づくといつも見慣れた谷川の緑の中に、異様な赤茶けた一条の布を引いたような泥流の光景が視界に入った。養魚場に到着すると職員達が呆然と池の縁に突っ立って水面を見つめていた。池に落下する水は、赤茶けてねばっこく、ドロドロしている。時折、苦しみもがくヤマメが水面の上を三段飛びのようにして跳ねる。
 
死魚をすくい上げてみるとエラに粘土が詰まっている。この付近の表層土壌は阿蘇山の火山灰土のため粒子が細かい。落下する水は白い泡もたたないほどドロドロしている。「これは全滅だ」そう思った途端足がすくんで背中に冷たいものが走った。
 
原因を確かめるため上流へ車を飛ばした。車窓から見える谷川はどこまでも濁りが続いて上っている。林道を上がりきるとそこはブナの巨木が茂る天然林で五ケ瀬川の水源地だ。その一角に町営スキー場の造成工事現場がありその付近から濁りが発生している。現場に入ってみると、かっては天然ワサビの自生地であった湧き水地帯がドロドロとした沼のようになっている。
 
こともあろうにこの湧水地帯にそのまま土砂を大量に埋め立ててある。このため地下水が噴き出して埋め土を沼のようにドロドロにしてその水が谷川に流れ込んでいた。
 この濁流事件で池のヤマメはほぼ全滅した。川の魚類もほぼ全滅し、初夏になると無数に飛び交っていた蛍も消えてしまった。この時、無秩序な開発の恐ろしさ、ブナ林破壊による自然の逆襲をまざまざと見せつけられた。
 
以来、地域づくりに悩み、苦しみ、悔し涙の日々が続くことになる。そんなある日、日本のブナ帯分布図を広げて何気なく見つめていた。日本のブナは、白神山地が有名であるが、いずれもヨーロッパから北半球を東に進んできて約一万三千年前に日本にたどりついたとされている。平均気温が摂氏六度から十三度まで、雨量は千二百ミリ以上の温暖な多雪地帯にブナは育つのである。日本のブナ帯の北限は北海道の黒松内町で、南限は九州の大隅半島の高隈山といわれる。一般的に九州では標高千b以上の自然林にブナは育っている。
 
地図を見ていてハッとして考えた。もしかしたら「ブナ林の分布とヤマメやアマゴの分布は同じではないのか、陸封型のサケ科魚類は、その源流にブナ林を持つことが条件ではなかったのか」と考えた。ヤマメやアマゴの陸封は氷河期の後、日本がブナ帯になったことと六千五百年前の縄文海進に絡んでいると考えられる。
 
北海道にブナが渡ったのは六千五百年前である。だから北海道では、陸封されていないのではないのか。屋久島には素晴らしい原生の森があるがブナが無い。だからヤマメも棲息していないのではないか(今は放流により一部棲息している)。昔はヤマメがいたが今は姿を見せないという河川は源流まで人工林化されてブナが消えた地域である。こうしたことからブナ帯に関心を持つようになった。

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