やまめに学ぶブナ帯文化

3.ヤマメ漁の解禁に思う
 水ぬるむ三月はヤマメ漁の解禁だ。渓流釣りファンには待ち遠しい季節である。渓流師は夜明けを待って谷川に入り、早春の渓に竿を出す。白いネコヤナギや残雪の中の湧き水にフキノトウを発見したりする釣行は春を探す旅でもある。
 
三月のヤマメは、冬の長い眠りから覚めたばかりで飢餓状態のためよく釣れるが、産卵に疲れ果ててかろうじて越年したヤマメはまだサビが回復しておらず痩せ細っている。

 ヤマメの盛期はやはり川岸に山吹の花が咲く五月であろう。この頃になると体側に並ぶ楕円形のパーマークはまぶしいほどに五色に輝き、早瀬を美しく矢のようにひらめき泳ぐさまは、まさに渓谷の女王といわれるゆえんでもある。

 「ヤマメ漁の解禁は五月に!」。九六年、佐賀県唐津市で開催された全国湖沼河川養殖研究会で私はこんな問題提起講演を試みた。北海道を除く本土の大部分は、ヤマメの産卵期に入る十月から禁漁となり翌年三月一日に解禁される。そこに疑問符が浮かぶのである。

 成熟して沢山の卵を孕んだヤマメは九月下旬からほとんど餌を摂らなくなる。餌を摂らない魚は釣れるはずがない。産卵期に餌を摂るのは完熟しないヤマメや一年で急成長したトビの雄である。

 ここで、もっとも考えなければならないのは、三月一日の解禁だ。三月の寒い日は釣りの引きも弱いが、水温が七度にも上がれば、スレていないヤマメはまるで入れ食いのように釣れてしまう。しかも釣れたヤマメはサビが回復していないので食べてもまずい。

 そこで、三月と四月を禁漁にしてサビの回復を待てば、五月には眩しい程に輝く美しい魚に成長し、まさに渓流の女王と対面できることになる。これが「解禁は五月に!」という論拠である。「寒のヤマメは薬になる」と古来からの言い伝えがある。冬の暮らしは動物性蛋白質が不足しがちなことと、雪中の釣りはなかなか釣れないから言われたものだろう。釣っても釣れない季節の禁漁は意味がない。

 釣りの魅力はヤマメが非常に警戒心が強く野性的であるからだ。人陰が水面をかすめただけでもさっと身を翻して深い岩陰に潜んでしまう。高気圧に覆われた晴天の日中は餌を摂らず、低気圧が近づいてくれば猛烈に餌を摂る。もう四十数年前の記憶であるが、小雨けぶる谷川に釣りに出かけた。すると釣り上げたヤマメがキュッキュッと鳴くのである。このような時は入れ食い状態となる。あまりにも釣れすぎて気味が悪くなり逃げ帰ったことがある。

 ヤマメは渓流の過酷な環境の中で今日まで種を維持してきた。異常渇水の年には谷川はちょろちょろの水となり、より獣や野鳥に狙われたであろう。そんな時、水面に映る陰を察知してさっと身を翻して隠れる能力を持った。また、数千年に一度という大洪水は谷川を土砂が埋めつくしたであろう。そんな時、洪水を予知して安全水域へ避難できた種は生き残った。天候の変化も予知できず警戒心もない種は滅んでしまったのだ。

こうしてヤマメは警戒心が強く野性的な逞しい遺伝子を持った魚となり、釣りの魅力をよりいっそう引き立てる。これに対して養殖ヤマメはしだいに野性が失われてきた。やがて自然界で生きていけない種となるであろう。自然界から遠ざかった人間も同様だ。

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